神着・木遣太鼓(かみつき・きやりだいこ)

三宅島は東京本土より南へ180km、太平洋上に位置する伊豆諸島の一つです。
その三宅島の島節の一節に「三宅島かよ緑の島か、小鳥さえずる歌の」とあるように、空青く海も青く青く大自然に恵まれたのどかな島です。
 しかし時としてその姿を一変させます。地殻の変動が地震を引き起こし、マグマの活動は、地鳴り噴火となり、その強大なエネルギーは非常な
厳しさで人々を圧倒します。
この様に、穏やかさと厳しさ、この両面を持った島の中ではぐくまれてきたのが、 「木遣太鼓」です。
文献によりますと江戸時代・文政三年(1820)、「神着(かみつき)村百姓、 藤助(ふじすけ)同八三郎(やさぶろう)同又八(またはち)等
伊勢参宮の帰途京都祇園祭を見て帰島後牛頭天王祭(ごずてんのうさい)を初む」 とありますが、この牛頭天王祭の御輿巡行の折り、
その先導役となるのが太鼓であり、輿と共にあって大榊(おおさかき)を手にした榊持ち(さかきもち)が木遣りと榊で輿を指揮すると言った
役まわりとなります<七月十四日宵の宮・同十五日本宮> 木遣りのルーツは、木材を切り出す時や、廻船の海浜への上げ下ろしの際 に
唄われた労働歌が起こりと言われ、この木遣りと太鼓をあわせて木遣太鼓と称している訳で、輿、太鼓、木遣り(榊持ち)が三位一体となって
牛頭天王祭は執行されます。
 
太鼓の内容、打ち方の種類は、人々を集合させるための「集まり太鼓」(寄せ太鼓)・輿が地区内を巡行する時に行う「神楽太鼓」・所定の場所で
打たれる「打ち込み太鼓」等があり、この種々の打ち方と木遣りを総称して「木遣太鼓」と言います。この木遣太鼓は七月中旬執行の牛頭天王祭
のみならず、隔年八月初旬執行の富賀神社大祭御輿渡御(とがじんじゃたいさいみこしとぎょ)<八月四日宮出し・同九日宮入>の際にも使われ
ます。この御輿渡御は全国的にも珍しい行事と思われますが、 各地区を輿が一泊しながら次々と引き継がれ島内を一巡してくるというものです。
この輿の受け渡しについても昔から種々細部に渡り、仕来り、習慣、申し合わせ等で厳しく定められており、万一違えた場合は、両者入り乱れて
大乱闘にまで発展してしまう場合もあります。
 
冒頭にも記しましたが、三宅島は静かでのどかな面と、台風や噴火といった大変厳しい自然を併せ持った島です。したがっ て祭全体は勿論のこと
、特に太鼓は、うきうきした穏やかさと地鳴りの様に身体にズシッとくる響きを打ち出します。
 
牛頭天王祭当日の夜、宮入時刻の八時前ともなると、一の鳥居を境に輿を上げろ下げろと激しい攻防が始まり、祭りも最高潮。持ちは枯れたのど
で、なおも大榊をふるい、木遣り声をふりしぼり、太鼓の方は「ここで打たねばどこで打つ」とばかり、枹も折れよ腕も拉げよと力の限り打って打って
打ち込みます。今回は牛頭天王祭の中から、木遣りと太鼓を切り取って各地で紹介させて頂いておりますが、本来なら太鼓、榊持ちの後に御輿
がワッショイワッショイと続いている訳です。
 
最後に、我々保存会員を含む三宅島全島民が避難指示解除により島に戻ることができましたが、依然として火山ガスが放出される中での帰島と
いうこともあり、この災害を乗り切る事は並大抵の事ではありません。
しかし、全国各地より御見舞いや励ましのお手紙等を頂いております、 この心暖かい全国の皆様方へのお礼の意と、マグマ活動、火山ガス活動
の少しでも早い鎮静化への祈りを込めて、力の限り木遣太鼓を打ち込み続けます。
 

(三宅島・神着郷土芸能保存会 会長・浅沼 道之)