★ネタバレ感想★


恋恋蓮歩の演習
A Sea of Deceits

森博嗣


 世界一周中の豪華客船ヒミコ。那古野から宮崎までの一日半の間に、ヒミコへ持ちこまれた天才画家・関根朔太の唯一の自画像を盗み出す――それが今回の「怪盗」使命だった。なぜか紅子アンド阿漕荘の面々まで乗り合わせた中、一発の銃声と続いて海へと落ちて行く人影が――!?しかも同時に「怪盗」が盗むはずの絵まですでに消えていた!?――Vシリーズ第6弾。


 Vシリーズ第6弾。内容的には『魔剣天翔』の続きともいえる内容。S&Mシリーズの『幻惑の死と使途』と『夏のレプリカ』のように内容的に表裏というわけではないが、事件の背後に潜むものは繋がっているという構図。それゆえにこれ1作だけ読んでも意味が通じにくいところがある。一番分かりにくいところは、関根朔太に感するくだり――保呂草はなぜ自画像をひとめ見てそれを彼女に届けたのか?という部分だろう。――このシーンの最後に「良い絵だったな」と呟くシーンが実はとても好きだ。今作は保呂草がメインをはっている話だと思うが、そのなかで一番カッコ良いシーンがここだと思うくらい。でも今作だけしか読んでいない人には(そういう確立はとても低いだろうが)、そのカッコ良さを理解はできても実感はしづらいだろう。絵に込められた意志を見る――そのために行動するまさに「怪盗」な保呂草を端的に現したセリフだと思う。もちろん絵を届けたのは自分の身を案じての功利の上の行動なのかもしれない。でも、彼に吹いた「思い込みの風」はくすぐる程度なのだろうか?――いやそうなのだろう。しかしくすぐる程度だって人はこのようにセンチメンタルに動く。文章では自分でどう書こうとも――あんがいロマンチックな保呂草探偵だ。

 とても――不思議な響きとリズムを持つタイトル。あるいは「変な」といっても良いくらい。「蓮歩」なんて辞書を引かなければ意味すら分からない。でもこの不思議なタイトルがふたばはとても好きだ。そこに作者のどんな意志が込められているんだろう――そう考えないではいられない。『恋恋』に込められているかのように、さまざまな恋、恋、恋の道行きが描かれている。メインは梨恵から羽村への、そしてシコさんから保呂草探偵への恋。だけどそれ意外でも紅子さんから林、七夏の三角関係や保呂草から紅子さんの微妙な想いなど恋が溢れている。――七夏から保呂草へもちょっと怪しい雰囲気をあったのには笑ったけど(笑)。これだけの恋が溢れているのに、それでも変にべたつかないで、清涼感すらが漂っているのが森ミステリィらしい詩的なところだろう。

 ミステリィ的には手法より目的――動機が重視されている気がする。これは森ミステリィとしてはもしかしたら珍しいのかも知れない。さまざまな思惑が入り乱れている。それぞれ思惑は単純なのにそれが入り乱れることで不思議な状況を作り出した。消えた男と絵。本当に消えたのか?本当にあった――いたのか?――でもその点はあまり強調して書かれていないように思う。つまりこの物語の焦点はそこにはないのだろう。その反面は大笛梨枝と羽村怜人との、あるいはシコさんと保呂草探偵との恋の道筋は丹念に描かれている。むしろ梨枝と羽村の恋は本当にあったのか?――その方が事件の手法よりもずっと興味深い。

 最後の大笛梨枝から羽村怜人への手紙が伝えることは衝撃的だった。もちろん羽村の正体が保呂草探偵だったからではない。そんなことは初めから気づいていた。プロローグで偽りの名前でもそのまま使わざるをえない語っているし、物語の前半部分で、梨枝の羽村へ想いとシコさんの保呂草への想いが重なるように書かれていることからも推測できるだろう(ちなみの紅子さんが2人を同じ様に心配していることも重なる要因だ)。では何が衝撃的だったのかといえば、この物語は、人が人を愛するための演習であったというに気づいたこと――不思議な響きを持つタイトルにはそういう意味があったのだと気づいたことだ。あるいは保呂草探偵ならそれは「誰かを愛するために、自分は生きているのだという、思い込みの風」だと否定するかもしれない。でも、それがこの事件に梨枝が手を貸した動機であったといって良いと思う。――少なくともふたばはそう信じている。これはセンチメンタリズムだろうか?

 「蓮歩」とは「ハスの上を歩けるような美人のしなやかな歩み」という意味だそうだ。人が人を恋すること――それは確かにそうあらねばならないという思い込みなのかも知れず幻想でしかないのかもしれない。しかしたとえ思い込みだろうが、「好きだ」という気持ちは、水に浮かぶハスの葉の上を歩いているかのようにスリリングだし、その危うさの上で成立していることがとても奇跡的だ。「恋」とはそういうものではないだろうか?

 

……それが、貴方と出会ってわかったの。
こんなに胸がどきどきするものだと、
私は知らなかった。
ずっと知らずにいたのです。
もしかしたら、
人を愛することが自分にもできるかもしれない。
そう思いました。

――大笛梨枝


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