★ネタバレ感想★


僧正殺人事件
THE BISHOP MUDDER CASE

ヴァン・ダイン


<あらすじ>

 コック・ロビンを殺したのはだあれ? 「わたしだわ」雀が言った。――老数学者の家で起こった殺人事件はマザーグースの童謡の歌詞に見立てられたものだった。その後マザーグースの同様に見立てらた殺人がその屋敷の周囲で次々発生。事件後を見たてられたマザーグースの歌詞を送りつける「僧正」と名乗る存在。名探偵ファイロ・ヴァンスが事件に挑む。


<感想>

 マザーグースの童謡の通りに起こる連続殺人事件。こう言う「見立て殺人」の場合、当然なぜそういう「見立て殺人」が行われたのか、なぜその「見立て」でなくてはいけないのかが読者の一番の興味だと思うのですが、それを逆手に取って犯人を見誤らせるのが目的というのが今作の新しさ(古い作品だが)。途中探偵役のヴァンスが長々と説明してくれる――結論から言えば「数学者の鬱屈した精神の発露としての駄洒落」であると指摘。事件が終わってみればまさに的を射ているし、事件の根本でもある重要な指摘なのだけど、実はそれこそが事件を見誤らせるトリックなのである(登場人物たちはもちろん読者にも)。だから「マザーグース」の見立てに意味がないとか、ヴァンスはもったいぶって賢そうにしてるが犯人がぼろを出すのを舞っているだけで推理してないとか言ってはいけない。――犯人に仕立てられそうになったアーネッソンだけが数学者の鬱屈を常に晴らすすべを持っていたので犯人ではないという指摘こそヴァンスが優れた洞察力の持ち主であることの証明だろう。

 論理の使途である数学者たち。人の情緒や常識を否定し孤高の世界を生きる彼ら。しかしそんな彼らもまた人間には他ならない。孤高を気取り頭脳は数字の間をさ迷っていても、人間であることの反動がはけ口を求めて押し寄せてくる。彼らがたとえ無視しても、その法則の中で生きている。

 

 数学者はたとえ自然の法則は無視して、この法則には従わざるを得ない。実際問題として、超物理学的問題に熱中することは、自分が否定している情緒の圧力を増大させるだけの話なのだ。

――ファイロ・ヴァンス


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