★ネタバレ感想★


黒猫の三角
Delta in the Darkness

森博嗣

 


「野放しの不思議が集まる無法地帯」アパート阿漕荘の住人、保呂草探偵に奇妙な依頼が持ち込まれた。連続殺人鬼の魔の手から一晩ガードして欲しい、というのだ。ここ数年、那古野市には「数字にこだわる」殺人犯が跋扈している。依頼人には殺人の予告が送られていた!衆人環視の中、密室に入った依頼人の運命は!?


Vシリーズ第1作。瀬在丸紅子、保呂草潤平、小鳥遊練無、香具山紫子など、変な連中がいっぱい登場。S&Mシリーズより、コミックでエキセントリックな人物たちです。ミステリー版「めぞん一刻」という話も頷けますね。中でも、紅子さんは、ふたば、お気に入りのキャラです。小学生の子供がいるくせに、時々、少女のようなあどけなさが感じられるところが良いです。結構、複雑な人格だし、過去になにかありそうだし、なにより天才!!真賀田四季とはタイプが違うけど、これからどんな活躍を見せてくれるか楽しみ。
 しかし、ミステリーとしてはいきなり飛び道具。シリーズものなのにいきなり主要メンバーが犯人で、しかも捕まった後に本物の当人が現れるというのは、完全に意表を突かれました。ファーストシーンで(事件解決後の話だが)、しっかりその人が出てきてるいるので、途中で気づきながらも、まさかと否定してました。でも、これは反則くさいなーという感じ。予想外なものにこういう反応をしてしまうのは了見狭いのかなー。そうそう、密室のトリックは、冒頭の引用文に答えが書いてあるんですね。これも、「そういうものかなあ、でも気づくだろ」という感じでいまいちしっくりきません。というわけで、森作品としては完成度低いかなー、とふたばは感じました。


 理由のない行為をするのが、より人間的な行為であるという。なるほど確かにそうだ。論理的に思考し行動するのが人間的だとふたばは思っていた。しかし、理由なく、思いつきで、まるで神様から受けた指令かのように行動することだって、人間にしかできない。いやそれは、論理的なものよりいい訳めいていないぶん、純粋で神様に近い綺麗な行動だろう。
 学問も、芸術も、本質的には役に立たない。でも人間だけがそれを美しいと感じ、愛する。芸術はもちろんそうだが、学問だって、実は論理的なものではなく、ひらめき、インスピレーションの産物である(ニュートンもそう言っている)。
 最初に行動するものは天才。それには道がなく、いきなりそこに到達する。あとから凡人が道を造る。そう思うと、論理的なものとは人間的ではあるが、凡庸なものといわざるを得ない。道があれば誰でもそこへ到達できる。
 より純粋で、より高尚なものは、論理的に進むものではなく、むしろそこへ一瞬で飛躍する――「闇の中に光る三角(Delta in the darkness)」を掴むようなものなのだ。
 それこそが,もっとも人間的行為というものだろう。

 

「最先端の自由な発想とは、理由も、言葉も、理論も、まだないところへ飛ぶことなの。そこへ飛躍できた人だけが、そのインスピレーションを掴むことができる。それを凡人が、あとから丁寧に理屈をつけて、そこまで行ける道を作るわけ」

――瀬在丸紅子


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