★ネタバレ感想★
火蛾
古泉迦十
12世紀中東。聖者の伝記録編纂を志すファリードはアリーと名乗る男を訪ねた。そこで聞かされるのは彼が期待していた聖者の話ではなく、1人の修行者が遭遇した殺人事件の話だった。姿の見えない影だけの導師と、次々と殺されていく弟子達。そこにか隠された意味とは?
完成度の高い作品。イスラム神秘主義を題材にしたミステリィですが、それが単なる素材で終わっていない所がすごいです。特別な世界・社会・職業を題材にしたミステリというのはよくありますが、今作のすごい所はイスラムの教義をミステリィのそして物語の中核に組みこんでいるところ。ミステリィという枠の中にイスラム神秘主義をいれたのではなくて、イスラム神秘主義をミステリィの枠にしてしまった――そこがすごい所だと思います。初めは短調・平坦で読みづらいと思っていた文章も、読み進めるうちにまるで読経でも聞いているかのようにその平坦さがいつの間にか夢幻の世界に引きこんでいるようで効果的でした。
言葉が「偶像」であるという考えは面白いですね。たしかに言葉自体が本質から一人歩きすることってあると思います。本来、何かを伝える為の言葉だったのに、いつのまにかその言葉自体が独立して力を持つようになる。それって神の姿を伝える為、神の変わりとして作られた像なのに、いつの間にか像自体を崇めるようになるのと同じですものね。そういう意味ではたしかに言葉は本質の偶像です。ことばが物事の本質を完全に写し得ないのは、少しでも文章を書いたことある人なら誰にでも分かります。変幻自在で無限のイメージを定着させるには言葉では少なすぎるからです。それに伝承の段階でも意味は抜け落ちて変質するしね。
テーマは伝承と殉死でしょうか?伝承するためには言葉を用いるしかないけど、言葉は偶像であり唯一絶対なる神をあがめる彼らにとっては認めることがが出来ないもの。そんなアンビバレンツな矛盾を彼らが最終目標とする自己を滅却して神と合一する為のシステムとして組みこまれている。なんてすごい世界なんでしょうね。矛盾を矛盾として捉えてそれをも目的の為にシステム化してしまう。そこまでして得られる真理が結局「自分が邪魔だ」ってことなんだからね。死ぬためのシステムか……。それこそが本作のミステリイな所でしょうね。そして先に書いた、イスラム神秘主義をミステリィの枠にしてしまったという部分なのです
「火蛾」とは「蝋燭の光のさきに、この世界の≪出口≫を求め、その身を火中に投じ、灼き滅びる、蛾」――つまり真理を求めて苦難の修行の道を行き遂には自己を滅却し神との合一をはかるスーフィーの象徴とされています。しかし本当にそうでしょうか?真理を、神との合一を、そして死を、希求する心自体が我欲ではないでしょうか。火蛾だって暗闇の中を光を求めて火中に飛びこみ苦しんだ挙句燃えて消え去るのです。アリーはシャムウーンを刺したのではありません。彼の瞳の中にいた自分を刺したのです。苦行の果てに疲れ切った見苦しい自分。求め続け何一つ手に入れることができなかった自分を。きっとそれこそが我欲です。それこそが滅すべき自己です。「火蛾」には何も意味がない、ただ火中で燃え尽きて消えるだけ。アリーにとって求め続けることがすべてでした。しかし求めることが無駄であった、それこそが滅却しなければならないものだと知った時、彼の世界は崩壊するしかありませんでした。
わたしは、なにを見ていたのだ?
わたしは、なにの影を見ていたのだ?
幻影――すべては幻影だったのか。
この世界に、わたしの手にできるものなど、最初からなかったのか――?