★ネタバレ感想★
冬の教室
大塚英志
雪 に閉ざされた永遠の冬の世界で夏を思う少女・樋崎人魚。死が普遍のものとなったこの町で、やってきたばかりの少年・千野は彼女と出会い「夏を見せてあげる」と約束する。
『冬の教室』というタイトルには、大人になることを拒絶する少年少女の永遠のモラトリアムの空間という意味があると思う。「冬」とは雪によって色も音すらも覆われた「閉ざされた」世界だし、「教室」が少年少女の空間を意味するのは言わずもがな。冷たく過酷な外界に覆われた温かく居心地が良い「冬の教室」。そして永遠に冬に閉ざされ、そこで生きていかなくてはいけない人々がその現実から逃れるために作り上げた彼らの現実を思うと、その場所にはそんな意味があるのではないかと思えてしまう。――そして「ぼくたち」はそこに囚われている。
「17歳の儀式」を生き残り大人になったはずの少年がそこへやってきたのは誰かに「奪われ与えられた」ものではやはり大人になりきれなかったからで、そこで少年は夏にあこがれる少女に「夏を見せてあげる」と約束してしまう。現実から逃げている冬の町の住人たちの中でもその少女――嶝崎人魚は特別だ。なぜなら大人に「ならない」住人たちの中で、彼女だけが「なれない」からだ。彼女は遺伝子の病で18歳にれないクローン人間で――大人になれない永遠の少女だ。彼女が見たいと望む夏とはきっと未来のこと。しかし大人になれない彼女には未来がない。だから彼女は「夏」を望みながら恐れる。「夏」は彼女にとっては「死」だからだ。
そんな少女の手を取り少年は夏へと旅立つ。――彼女に未来を、夏を見せるために。「冬の教室」に囚われた彼女に真実を見せて開放するために。そしてなにより「17歳の儀式」では選べなかった自らの少年少女の時間の「終わり」を選ぶために。
少女は夏を見る。少女を捕らえる「冬の教室」を抜け出す。――しかしそれは一瞬のことだ。少女は殺され、やはり大人になれぬまま冬の牢獄につながれて永遠に少女を繰り返す。少年も失った少女を求めて永遠にその冬の教室をさ迷うことになる。少女と共に見た一瞬の夏の幻を、琥珀に閉じ込められた青い花びらを思いながら。彼らは夏を――大人になることを求めて失敗したのだ。
そうこれは「失敗」の物語だ。――それも「ぼくら」の失敗の物語なのだ。
昔、戦争があって、その後50年「戦後」という時代があった。それも1989年に戦後が終わり、世界的に社会主義がほろび冷戦時代が終わる。でもそれの「終わり」はぼくたちが選択したことではない。ぼくたちが少年のころ生きた時代とは、ぼくたちとは関係ないところからきた時代であり、それも関係ないところで終わった。世界はぼくたちとは関係なく、ぼくたちも世界に関わらず、ぼくたちは今だ大人になった実感のない大人でしかない。大人になってもマンガを読むしアニメだって見る世代だ。現実を上手く生きられず夢を現実に換えることでぼくらはかろうじて生きている。――ぼくたち大人になること失敗した世代なのかもしれない。
だからこそこのこの救いのない静かで冷たい「失敗」の物語がぼくらの胸を悲しくうつ。「ぼくたち」もまた失った少女を求め大人になれなかったのかもしれない。しかし少女を失ったのは永遠に子供の時間を過ごしたいというぼくらの願いゆえではないのだろうか? ぼくたちは千野という少年のように今でもあの雪に閉ざされ色も音も失った「冬の教室」にいてぼくたちの嶝崎人魚を探していないだろうか? ――そして少女を見つけたとき今度こそぼくたちは「冬の教室」を飛び出していけるだろうか?
「
ぼくたちはやはりどこにもいけないのかもしれない」