★ネタバレ感想★
幻惑の死と使途
森博嗣
奇跡の脱出――天才老奇術師・有里匠幻が脱出ショー最中に殺された。しかも彼の遺体は霊柩車から消失。「私は、必ずや脱出する。それが、私の名前だからだ」。――これは老奇術師が仕掛けた最後の魔術なのか!?S&Mシリーズ第6弾。
S&Mシリーズ第6弾。再読。第1作『F』から比べての萌絵さんと犀川センセイの変化が面白いですね。特に萌絵さんは頭は良くても何だか普通の女子大生化していて、最初に読んだ時にはそれが残念だなと思ったんです。しかしそれは最初の状態が異常だったということなんですよね。両親の死によって感情にかけられたプロテクトが彼女を普通とは違う人格にしていた。でもそれが力学を勉強して恐怖を感じるようになったように、さまざまな事件や犀川センセイとの付合い(?)を通じて次第に外れてきている、そういう変化を楽しまなければいけないんだと思います。犀川センセイのほうでは、彼の中心にいる人格が、彼に変化をもたらした彼女とは誰か?と問うところが好きです。意味深いし興味深い。それと何か考えているとき別のことを思いつくという萌絵さんの思考形態も興味深い。ふたばにもそういう部分があると感じるからです。萌絵さんのように天才的な思考の早さは持っていませんが。考えている時ほど思いつかない、別なことを思いつくというのは、きっと誰にでもある精神作用なんでしょう。萌絵さんが考えたように神様の仕掛けた意地悪パズルなのかも。ラストはロマンチックですね。意味深い二人の会話が素敵。恋愛とは偉大なる勘違いだと思いました(笑)。
テーマは「名前」。イメージすべてを言葉や文字に換言することが難しい。伝わるの思考のわずかな断片を捉えて変換されたことば――人を認識することでいうなら「名前」くらいなものだ。しかしその名前こそが重要だ。群体から個を分けるものが「名前」なのだ。名前を他者にあるいは自分自身に伝達することで、群体である「人々」は個である「人」になることができるのである。人に何かを伝えることで自己を他者にそして自分自身に認識させて個を作る。つまり伝えることが自分自身を作ることといえるだろう。
その伝わる数少ないことばである名前から、人はさまざまなイメージを喚起する。人間にとって「名前」がとても大切なのは名前こそが他者に伝わるその人の唯一でありすべてだからだ。もちろん伝えられることは一部ですべてではない。その名前に喚起されるイメージだって幻想でしかないかもしれない。そもそも伝わること自体が幻想で、その伝わったと思ったことは自分自身の中から出た勝手なイメージにすぎないのかもしれない。そして伝えることで自分が変わるわけでもない。でも伝えない限り他者はそして自分自身もその人を個として認識することはないのだ。名前をつけることで人はそれを定義する。
有里匠幻も伝えたかったのだろうか?彼の名を。名前に付随する幻想とともに。
ショーに立つことは二の次で、創造することこそ一流のマジシャンの証だと信じながら。彼は有里匠幻という名が最大の魔法を持つことを願った。なぜだろう?
マジシャンの仕事はイリュージョンを見せることだからだろうか。人々を幻想に酔わせることだから?――でもそれなら「人形使い」でいることでも十分人々を幻想に酔わせることが出来ていたはず。――きっと彼の創造したもっとも偉大なイリュージョンが有里匠幻という名前だったからだ。そして、匠幻を操る内側の彼が変質してしまったから。犀川が自分の中心人格の変質を果物の外側が硬化した時には中身は腐っていると例えたようにだ。きっとそれが許せなかったのだろう。それは外に見える彼のイリュージョン――有里匠幻という名――の硬化でもあるからだ。
人は幻惑されたがっている。それは人の中の認識できないたくさんのものがあることに起因するのかもしれない。伝えられたものが伝えたいことのすべてではない。その大半はきっと自分の中から補うために生み出された自身の勝手な想像――つまり幻想(あるいは妄想?)に過ぎない。萌絵は犀川の破滅的な精神を救えるのは自分だけだと信じている。それは幻想かもしれない。しかしそうことばとして定着させたことで萌絵にとってはそれが真実となった。有里匠幻が自分の名にかけた想いだって幻想。その想いを見たと思った犀川の感情もだ。――しかしそれはその人が「信じたい」ものなのだ。とても心地よく酔える魔法みたいなものだ。人はそんな幻想を一杯持って生きている。真実とはその人の中では決して譲れない幻想のことかもしれない。――素敵なドレスを着ていれば目を惹くし、ダンスだって踊りたくなる。それは幻想。しかし素敵な幻想だ。――幻想は魔法のように作用する。
「――もの心がつく以前から盲目で耳も聞こえなかった人が、何を最初に理解したと思う?そういう人に言葉を教えるには、何が必要だろう?」
「実物に触れさせて、言葉を感触で教えたのでしょ?」
「それ以前に、重要なことがあるんだ。それは、