★ネタバレ感想★


人格転移の殺人

西澤保彦

 


 突然の大地震に僕ら6人が逃げ込んだ先は、人格を入れ替える謎の実験施設だった。一定の法則で人格を次々に入れ変わっていく事になった僕らが収容された隔離された空間で起こる連続殺人事件。一体誰の人格が?何の為に行っているのか?「スパ・ナチュラ・シリーズ」。


 とても「素敵で可愛い」話、と言うのが感想。

 人格転移というそのシチュエーションが最高に面白い。その原理、誰が造ったのかなど、一切説明されないまま、それを「前提」として話は進む。それがどんなに気になろうともそういうものだと割りきって進めるしかないのである。西澤センセイのSFミステリィ(?)全般にいえる事だろう。最も何故だろうと思うことには理由はない。そういうものだと思うだけだ。そしてそう思ってなんの疑問もわかないという事が、実は西澤センセイの魔術に捕らえられている証拠なのである。

 人格が次々に変わるので読んでいて混乱するがその混乱が面白い。殺されると思っている瞬間に殺そうとしている肉体へ人格が転移したりと、その滑稽とも言える混沌こそが今作の魅力の1つだろう。頭のこんがらがり具合がこの話のミステリィになる――つまり誰の人格が誰の肉体に入っているか、死んだ順番によって違ってくるわけでそこを西澤先生お得意のロジックパズルにしてくる――のかと思ったが、実はもっと根本的な前提が最初から違っていたと言うどんでん返しがには完全にやられた気分。実はふたばは、論理的な思考というものに少しでも納得しがたい部分があると途端に興ざめしてしまうので、これは嬉しい誤算だった。たとえるなら、状況をなんとか説明しようと懸命に理屈をつけていたのに、そもそもその状況が違っていたと分かって、自分の苦労と間抜けさを呪いながら、それでいて「ああ、やっぱりね」と変に納得してしまうような。

 さてそれ以上に、実はジャクリーヌがエリオを殺せなかった理由こそが、今作の最もミステリィな部分だし、素敵で可愛い部分だろう。
 最初のジャクリーヌは自分の事しか見ていない他人の事など歯牙にもかけない嫌な女性だった。つまり自分の心は反応論的に捉えても、他人の心は実体論的に見ているワケである。でもそれは程度の差こそあれ誰だってそうだ。エリオだって恋人と別れた理由を全部彼女のせいにしていたし、犯人のアヤも他人が自分と同じ考える心を持っていると分かっていれば、そんな理由で殺人など犯さなかっただろう。何故そう思うのか。何故なら自分の心の存在は自分で分かるが他人の心は見えない。だから他人に自分と同じ心があるという事が自分の心と同じほどには理解できない。他人の行動がどんな心理の働きによってもたらされるものか想像してみるしかなく、そしてそんな想像など普通しないで、「あれは、ああいうものだ」と思考を停止してしまう。それが普通なのだ。でもジャクリーヌは人格転移装置のせいでエリオの身体に入りエリオの視点で物事を見た。エリオの折れた肋骨の痛みを感じ、それを自分がやったのだと思った時、彼女はエリオの気持ちが分かった。分かったと思った。だから、彼女はエリオを殺せなかった。たぶん、他人を殺すことができるのは、他人の心が分からないからなのだろう。アヤは分からなかった。でもジャクリーヌには分かったのだ。ジャクリーヌにとってエリオはもう他人ではなくなったのである。

 ふたばはジャクリーヌが最初キライだった。はなもちならない嫌な女だと感じた。でも、彼女の心に触れるにつれ最後にはエリオ同様、ふたばもジャクリーヌが好きになっていた。彼女を見る目が実体論的視点から反応論的それに変わったのだろう。実はその変化こそが人格転換装置の存在理由である。
 ふたばが「文系」の為だろうか、この人格転移装置に、誰が造ったのかとか、原理はとか、そういう部分は全く気にならなかった。この装置が、エリオとジャクリーヌの相互理解を深めたという「素敵で可愛い存在理由」が、この装置のすべてだ、と思っただけである。そしてそれはふたばの心に変化をもたらした西澤ミステリィと似ている。西澤ミステリィも「素敵で可愛い」。これが最高だ。
 少なくともふたばにとっては、他に何も必要ないのである。

 

 「でも、あたしは、あ、これあたしが折ったやつだ、と思った。そう思ったら、もうだめだった。あなたの首を締めようとしたら、自分の胸が痛くなった。最悪よ。最悪の巡り合わせ」

――ジャクリーヌ


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