★ネタバレ感想★
仮面舞踏会
栗本薫
パソコン通信にはまるオタク少年「アトム」。彼の行くフォーラムで大人気のヴァーチャルアイドル「姫」の正体を巡りパソ通仲間は大騒ぎを繰り広げていたが「アトム」だけは「姫」の正体が彼の同級生である姫野という男――ネットおかまであることを知っていた。しかし「姫」が初めてオフ会へ顔を出すことになったその日、待ち合わせの場所でひとりの女子大生が殺された。そして「姫」のファンの間に巡る「姫が死んだ」という衝撃のメール!殺された女子大生は姫のが自分の身代わりとしてオフ会へ行ってもらった大学の先輩だったのだ。彼女はなぜ殺されたのか?「アトム」はネット探偵としてパソコン通信の世界を駆け巡るが……。伊集院大介シリーズ。
伊集院大介シリーズの中で、一番この作品が好き。きっとこれ以前にネットワークを扱った小説――ミステリでも――はあったろうけど、ふたばがこの手の小説を読んだのは初めてだったのでとにかく斬新だった。パソコン通信はいまだにやったことはないけど、インターネットもまだそれほど広まっていなくて、当然ふたばもやったことはなかった。だから、そのネット世界というものがどういうものなのかということを初めてこの作品で知り、その可能性を感じ惹きつけられたし、同時にその裏側にひそも恐さも感じたものだ。
この作品のテーマはネットの匿名性が孕む可能性と限界。この作品のすごさは、ネットワークを理想世界として見せながらただ美化するだけでなく、その裏側に潜む暗闇を見せていること、そしてミステリィとしてネット世界の暗闇こそが事件の真相であり作品の本質となっているところだろう。そしてなにより、ネットもまた現実と変わらないんだという指摘だと思う。
ネット世界は、肉体を脱ぎ捨てて精神だけの生命体となる僕らの住まう新しい世界となりうると思う。外見の違いは差別や迫害の対象になりやすい。その点だけでも、基本的に文字だけで成立するネット世界は外見に囚われずその人の本質を見つめることが出きる、現実とは違う新しい世界になりうる可能性を秘めていると思う。さらに外見が見えないということで、人はネット世界では、自分の嫌なところを隠し、自分がそうありたいと望む自分になれるのである。誰もがなりたいものになれる可能性のある世界。――まさしく理想郷ではないだろうか?
しかしである。ネットが自分自身を変えることが出きるユートピアであろうとも、ネットもまたコミュニケーションの一形態でありモニタの向こう側には他人がいる――その点では現実と変わらないのである。それを忘れた時、理想郷になりうるはずのネット世界の暗黒が浮き彫りになってくる。ネットにおける匿名性は、年齢・身分・地位や容姿にこだわらず、その人のなりたい自分になれるということでそれはすばらしいことではあるけど、逆に自分を存在させない無責任さも潜んでいる。自分の姿を(ネット上でだが)いつでも隠せるのを良いことに、掲示板などに書きこまれた酷い中傷罵詈雑言見たことがあるだろう。もし相手と面と向かっていたら、決して書けないことをだ。しかし彼らのなかではモニタの向こう側の相手のことなど忘れ自分だけしかいなくなっている。匿名性が、自分を他人から消すのと同時に、自分の中から他人をも消してしまうのだ。
せっかく閉ざされていた外界への新しい窓を手にいれながら自分だけを見つめることで閉ざしてしまったダフネ、匿名性が自分と他人を希薄にしてしまった結果、他人がゲームのキャラクタのようにしか感じられなくなった姫。この2人が引き起こした殺人は極端なケースではあるけど、しかしネットの孕んだコミュニケーションの不全という危険性を指摘している。ネット世界はたしかにまだ新しい世界で、限りない可能性を思わせてくれる理想郷だ。しかし理想郷とは想像の中にだけにあり、この世には決してないものなのだ。人が人である限り、それは現実の続きなのである。いつか僕らはその世界になれていくだろう。いずれネット世界も理想郷としての影は潜め、現実そのものになるだろう。
確かにパソコン通信は顔のない、仮面舞踏会みたいな世界だけれど――それなら、僕たちは現実と僕たちが呼んでいるこの世界のなかで、本当に誰が誰なのか、本当にその人がどんな顔をしているのか、知っているんだろうか?
――伊集院大介