★ネタバレ感想★


仔羊たちの聖夜

西澤保彦

 


 1年前のイブ。初めてタック・タカチ・ボアン先輩が知り合った夜。3人はマンションから女性が飛び降りた現場に出くわした。1年後、その女性が残したと思われるプレゼントが見つかりタカチとタックはそれを届けることに。届け先を探すために事件の関係者を辿る2人は、実はその5年前にも高校生が同じようにプレゼントを持ったまま謎の自殺を遂げていたことを知る。


 タックシリーズ。面白いと思ったのは、今回の事件の真相を探ることが、タカチにとっての巡礼だったところ。「巡礼」とは神や聖人の足跡をたどり神と出遭う旅のことだが、神は巡る聖地にいるわけではないと思う。神はきっと巡礼する人の心の中にいる。「巡礼」とは旅を通じて神と自己を同一にし、自分の中に神を見ること。つまり自分を見つめる旅のことなのだ。事件を通してタカチが見つめたもの、それは父親からの「愛という名の支配」だろう。

 今作では親の子に対する支配的な愛情に対する嫌悪感が激しい。自殺した少年の祖母が孫の性まで管理しようとしていたと知った時、あまりのおぞましさにゾッとした。突飛な話ではある。でも子供のすべてを知っていなければ気がすまない親というのは確かにいると思う。親が子に持つ愛情とは支配的なものだ。子供のためを思っている、子供を愛している、だから子供もそれに報いるべきだと言う独善的な愛情。子供のことを思っているようで実は自分しか見ていない。子供を意志のある1個の人間とは見なしていないのだ。未熟だから間違った道を選ばせるわけにはいかないと子供の意志をスポイルして自分の意に沿わせていく。自分の意に沿う者は可愛いものだ。それに自分も気持ち良い。しかしその為には子供の意志は邪魔なのだ。親にとって子供は自分の思い通りに動かせ支配できる操り人形なのだ。人形には意志はなく操り手の意志が込められる。親は人形を愛するように子供を愛している。「人形を愛する者は人形に投影された自己を愛している」と誰かが言ったが、親の子供に対する独善的な愛情とは自己愛に他ならないのかもしれない。

 具体的にはまだ語られていないが、タカチは父親の束縛から逃げ出したらしい。自殺することで祖母の呪縛から逃げ出した少年のように。しかしタカチは救われていない。逃げ出すことは一時的に目をつぶったことに過ぎなかった。呪縛は亡霊のようにタカチにいつまでも付きまとい、ことあるごとにそれを思い出させる。それほど生まれた時から関係が築かれる親の刷り込んだ呪縛とは深い。タカチには父親からの呪縛がすべてだった。反発し拒絶してすることさえ、実はそれに執着していることには変わらない。自殺した少年も、祖母との関係以外何もなかった。呪縛から逃れたいのに、でもその呪縛しかないない少年には、死ぬことでしかそれから逃れられなかった。タカチは自殺こそしなかったものの、自分の心を封じ、他人からそして自分からも心を隠して逃げ出した。

 でも呪縛から逃れるには反発し逃げ出すのでは駄目だと思う。それはどちらにしろ執着していることと同じ。見つめるしかないのかもしれないと思う。その傷を見つめて許すしか。しかし執着しているものに対しては誰でも冷静ではいられない。そして傷を見つめるには勇気がいる。あのタカチですらそれを見つめる勇気がなかった。いや勇気がなかったからこそ、逃げ出すことしか出来なかったからこそ、タカチは鎧をまといその脆い心を隠したのかもしれない。自分がその呪縛を見つめないように。他人から見透かされないように。また誰かに心を縛られないように。それが自分と同じ境遇だった少年たちの事件をたどることで、思いがけず少年たちと自己を同一化することで、少年たちの心を、そして何より自分の心の中を見た。かつて逃げ出した今も刻まれている深い傷を見つめた。 

 タカチとタックたちと出会い。それがタカチに自分を見つめさせた勇気だと思う。タカチはずっと1人だった。まわりを拒絶しつづけてきた。でも今は違う。ずかずかと心の内に入りこませるわけではないけど、お互いを尊重し合いでも通じているそんな関係がタックたちにはある。それが子羊――タカチに贈られたプレゼントなのかもしれない。

 

「親になった経験なんかないんでしょ?」
「ありません」タカチは即座に答える。「でも、
子供になったことはあります」


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