★ネタバレ感想★


迷宮百年の睡魔
LABYRINTH IN ARM OF MORPHEUS

森博嗣

 


<あらすじ>
 一夜にして森が消え、周囲が海になった島イル・サン・ジャック。取材のためにここを訪れたミチルとロイディはこの島にかつて訪れたルナティックシティの女王デボウ・スホの母メグツシュカ・スホがやはり女王として存在していることを知る。ミチルとロイディ王宮モン・ロゼを訪れたその夜、首を落とされた僧侶の死体が曼荼羅の中で発見された。


<感想>
 『女王の百年密室』の続編。読感はタイトル通り夢の中にいるような印象。まるで精神という迷宮の中を歩いているような感じ。誰の精神?――それは英題の通り「夢の神」の。あくまで前作の続編であり、前作を読んでいないと分かりにくい部分はある(ミチルとデボウ・スホとの関係とか)、それをクリアしていればミチルとデボウそしてメグツシュカとの情感たっぷりの交流を楽しめるだろう。静かな夜の月の砂漠のデボウとの再会(ニセモノだったけど)と、やはり夜空の下の海原が見える草原でのメグツシュカとの別れ。この2人の女王との交流の描写が好き。個人的にはこの辺の詩的で素敵な描写こそが森博嗣の真骨頂だと思う。彼女たち女王をたとえるとしたら月かな。高みで静かに優しく孤高に輝いて僕らを照らす月。ぼくらが恐れと崇拝をもって見上げる月。遠く離れて見上げるしかない……。しかしこの対象を考えるともしかしたらデボウとメグツシュカも一人で二人なのでは?と思えてきてしまいました。……これはかんぐりすぎか。メグツシュカは好きなキャラですね。ちょっと紅子さんが入っている気がする。威厳があり、子供っぽく、美しく、恐く、チャーミングで――こういう分裂したキャラクタは好き。

 今作の前作に引き続きテーマは「人間の尊厳」だと思うけど、さらにそれを突き詰めて言えば「精神と肉体」「生と死」だろうか。「人間とはどこを指して言うのか?」精神は肉体から切り離し外側に保存する実験を行っていた女王メグツシュカ。は言う。「人間は意思によって存在する」と。決して外側である肉体が人間そのものではないではない。肉体を失って精神だけがたとえばコンピュータ化なんかの中で存在しつづけるのと、精神を失い肉体だけが生き続けるいわゆる植物状態として生き続けるのとでは、どちらが悲しい。失われて悲しいのはその人のパーソナルのはずだ。精神こそかけがえのないもののはず。肉体は精神を保護するための仕組みでしかない。しかしその肉体というシステムが時ににぼくらの精神は支配する。たとえば食欲・睡眠欲・性欲。これらの欲望は肉体を維持し・休め・遺伝子を後世へつなぐための仕組みで、それを促すために脳からそれが快感であると感じる物質を出させているという。そもそも精神を維持するための仕組みがその精神の自在さを縛る。

 作中で、死と睡眠が近いのに死は恐れるけど睡眠は拒めないのはなぜかという話があったけど、それも肉体の作用によると考えれば分かりやすいかもしれない。同じように精神を失ってしまう睡眠と死だが、睡眠は肉体(および頭脳)を休め維持するために必要だが、死は精神だけでなく肉体も失ってしまう。肉体には生存する本能しかない。死を望むのはむしろ精神ではないだろうか?肉体は維持したがるが、精神は自由を求め拡散したがる。――もっと自由にもっと広く。しかしその拡散がいつしか個としての精神を維持しえなくなり消えさりついには死へ至る。もしかしたらこれが自殺のメカニズムだろうか。――だとしたら死が精神の望みなのかもしれない。

 クジ・アキラの体を操るミチルは精神そのものの存在だ。同じような存在のクラウド・ライツとオスカ老人は魂の飛翔を求めて、肉体を切り捨てた。ミチルの中にも同じ願望が存在する。しかしミチルは死への誘惑――精神の飛翔をという甘美な誘惑を断ち切り、苦しみの待ちつづける現実の世界で生き続ける。充の首に下げられたさびた鉄のクロスのように。高尚な死より、泥にまみれる生を選ぶ。――なぜ?

それはあなたに会いたいから

 

 「生きているのと、そうでないのと、両者の違いはどこありますか?」 僕はきき直した。
「そうね……」
メグツシュカは横を向いたまま静かに答える。「あなたが生きていれば、あなた以外の誰かが、あなたに会いたいと思う。他人に、そう思わせるキーワードが、生きているということかしら」

 


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