★ネタバレ感想★


ルー=ガルー忌避すべき狼

京極夏彦


 21世紀半ば、清潔で均一化した世界で、少年少女を狙った連続猟奇殺人が発生。リアルな死が少女たちを覚醒させた!――戦いが今始まる。


 作中の「そして狼は赤頭巾を食べてしまった」という一文から解るように、『ルー=ガルー』は京極版『赤頭巾』であろう。但し、もちろんただの『赤頭巾』未来版ではない。『赤頭巾』は『赤頭巾』でも森から狼がいなくなってひさしい『赤頭巾』なのである。狼は赤頭巾を食べてしまう外敵であり、狼がいないということは、赤頭巾が「死」から開放されれいる――ということである。自分を殺す存在がいなくなった赤頭巾は、狼がもたらす死におびえることなく、自由に森を歩けることになるだろう。――ただ、死が身近にない世界では、生も実感しがたくはある。

 この狼のいなくなった森――という『赤頭巾』の世界が、今作の世界設定にそのまま重なっている
 
今作の世界は、現在の少年少女たちが抱える問題をそのまま持ち越したような自分がそして相手が「生きている」ことを実感できない世界として設定されている。外界や他人とはほとんど接触せず、生活のほとんどを仮想で過ごす子供たち。現実をリアルに感じられないため、自分が生き物であること、他人が生き物であることを実感できないでいる。なぜ生きている実感がないのか――それは死が身近にないからだろう。この世界では死が隠されている。食べ物も生物を殺さず、合成された食材である。しかし生き物の死が身近にないから、逆に生きていることも実感できないでいるのだ。

 生きていることが実感できなかれば他の生命の軽視が始まるだろう。それに人間は他の生物とはことなる特別な存在へと至ったと増長してすらいる。――しかしよくよく考えてみれば、自ら生物を殺さず合成食材を与えれそれを食べて生きる生物というのは、実は「家畜」そのものであるのである。死を忘れ生きていることを忘れた生命は家畜でしかないでしかない。家畜は人間が食べるために存在している。――少女たちが文字通り食べられていたというのが、実に皮肉めいている。オリジナルの『赤頭巾』では狼がおばあさんに化け赤頭巾を食べる。『ルー=ガルー』ではおばあさん自体が狼のふりをして赤頭巾を食べているのである。そしてもしかしたらおばあさんは、昔、赤頭巾だったのかもしれない――狼のいない森で育った。

 しかし、いくら人間は特別な存在であると増長したところで、人もまたただの動物なのだ。生命には必ず死が訪れる。死は見えないだけで存在する。狼は消えただけで今だ存在しているのである。人間の姿に化けられる赤頭巾の狼――しかし人間に化けたまま、自ら狼であることも忘れて、人間として生きていたとしたら。――増長した赤頭巾のなれの果ての生と死を軽視した行為が、その忌避すべき狼――「ルー=ガルー」を目覚めさせた。「ルー=ガルー」とは、きっと人間が隠し存在を忘れた「死と生」そのものである。

 

昔、狼というけだものがいたそうだ。
でも。
狼は――絶滅した。
そういうことになっている


 戻る