★ネタバレ感想★
美濃牛
殊能将之
フリーライターの天瀬啓介は病が治るという奇跡の泉を取材するために暮枝村の亀恩洞へ向かうが、その土地の持ち主で村の大地主の羅洞真一の息子・哲史が首を切られて殺された。次々と殺される羅洞家の人々。その死にざまは村に伝わるわらべ歌に告示している……。
前作『ハサミ男』がトリッキィな作品だったので、どうしても今作にもそれを求めてしまうけど、実際には至極ノーマルでオーソドックスな作品。まあ、『ハサミ男』のように目先のインパクトばかり追い続けるわけにも行かないからね。きちんとオーソドックスな作品を書いてみせることで実力を証明したというところでしょう。完成度はかなり高いです。狙いとしては横溝正史的な作品を現代に持ってくるという狙いがあったんでしょうね。献辞にもあるし、伝説のある村とかそこに伝わる秘密の歌とか旧家の因習とかおどろおどろしいモノが出てくるしね。殊能さんは正史がお好きなようで、以前、殊能さんのインタヴュで、正史に触れて「おどろおどろしいように見えて実はそれはトリックのための伏線であり、最終的には理に落ちる」と言っていたのを読んだことがあります。それを実践したのが今作なんでしょう。でも正史というわりには淡白です。まあ現代に正史の描くような世界があるわけはないし、この淡白さが現代的だといえばそうかも知れません。オーソドックスさがこの作品を平坦にしている気もします。「これぞ!」という部分がないのが痛いかな。それとどうも読者を惹きつける吸引力が足りない気がします。殊能さんの書く文章は過剰な装飾もなくてとても読みやすいです。だから読み始めればすらすらと読めるんだけど、その前に読みたくて本を開こうという気にならなかった。これはふたば1人だけのことかもしれませんが、どうも「謎」が弱いのかなあって気はしますね。やはりミステリィの面白さって提示された「謎」が解き明かされるところにあると思うし、だからこそその謎を知りたくてどんどん読み進めてしまうんだと思います。でもこの作品は、もちろんミステリィとしての謎はあるですが、それが強調されていない。どこが疑問なのかイマイチ明確でないんです。一族が次々殺されていく、普通なら「何故だろう?」と思うのに、この作品はそのことを疑問に思う人が少ない。死体のベルトが逆にされている、「それは他人が締めたからだ」と言われて、「ああそうか」と納得する。でもそれがどういうことを意味しているのかは探偵役の石動さんしか疑問に思わない。石動さんもそれについてしつこく言ったりはしないから、すぐに読者は忘れてしまう。これが謎が弱いというところで、もっとしつこく何が疑問なのか、何が不思議なのかを強調したほうが良いんではないかと思うんですよね。唯一、何故、首が切られていたかという所だけは他の部分よりは疑問度(?)が大きいけど、それだって他のミステリィに比べれば淡白。そう、全体として表現が淡々としていてくっきりしてこないんです。それがこの作品の弱さだと思います。トリックは先に書いた首を切った理由が首吊り自殺を他殺に見せかけるためというのは、やはり分かってもインパクトがなかった。前振りが足りなかったからだと思います。それよりも「老人を作る」と言う発想が変わっていて面白いと思いました。探偵役の石動さんは個人的にはとても好きなタイプの探偵。ひかえ目でありながらでもはっきりと印象に残る。欲を言えば性格はともかく姿が見えてこないんで身体的な特徴があれば良かったかも。タイトルの『美濃牛』は飛騨牛になれない牛ということから、羅堂家の血を引き陣一郎の身代わりをさせられていたにもかかわらずやはり羅堂の人間ではなかった――なれなかった鋤屋和人のことを暗示しているんでしょうかね。羅堂窓音が言っていますね「どこへ行ってもいっしょ」――自分は自分だと。自分以外なモノになることを拒むくっきりとした性格。迷宮に迷いこむタイプではありませんね。自分は自分以外の誰かにはなれないのかもしれません。「ミノタウロス」と読ませるなら、人間から生まれながら牛の顔を持ち迷宮に閉じ込められた怪物からやはり同じ血を持ちながら迷宮――羅洞家に閉じ込められた鋤屋和人を。そして後に閉じ込められることになる天瀬啓介を。天瀬が亀恩洞に迷いこみ美濃牛に出会いその後窓音にプロポーズするシーンはギリシャ神話でテセウスがミノタウロスを退治する神話が下敷き。テセウスに恋する女性アリアドネの魔法の糸玉のおかげで彼は迷宮を抜けることが出来たという話です。
あなたがあたしを選んだんよ。
窓音きみこそが迷宮なんだ