★ネタバレ感想★
まどろみ消去
森博嗣
森ミステリィの初の短編集。「もっとも森らしい」と作者自身が述べるだけあって、森ミステリィのあらゆる可能性が詰まっていると思う。ふたばもとても好きな短編集だ。ただ案外好みが分かれているようで「もう全然ダメ」という人も結構いるようである。そういう人はおよそミステリイっぽくない所がダメらしい。ふたばのような大好きだという人は逆にそこが気にいっている(はずだ)。読んでいて眩暈がしてくる。幻惑される印象を持つ。夢を見て起きた寸前の、まどろみの中にいるようで、見た夢はすぐに消えてしまったが、何かをとても素敵なものを見たという印象だけは確かに残っている――読後そんな感じを持つ、短編集だ。
虚空の黙祷者 Silent Prayer in Empty
ミドリが住職を許したのは、5年間、彼女の生き方を見つづけたのが住職だったからだと思う。理由はどうあれ、時間が汚いものを浄化して綺麗にすらしたのだろう。
純白の女 The Lilies of Her Cheeks
詩のような不思議な雰囲気。生命が少しずつ失われて広がっていく――そう考えることはたしかに悲しく死にたくなることかもしれない。ユリカをふたばは綺麗だと思った。儚くて壊れやすいもの、壊れているものほど、そう感じる。未来に、得るものではなく失うものしか見ず、それを悲しむ14歳の少女を、壊れた人形のようだが、美しいと思った。
彼女の迷宮 She is Lost in Mysteries
完璧な女性すぎるから、実は男だった、というのは皮肉がきいている。「なるほど」ね。夫――男が望むように生きて自分を見失った女性の話。失ってしまった「無駄」を望む女性の話だ。洗練されているものは美しいがきっと現実から遠い存在なのだ。そんな風に人間は普通は生きられない。憧れはしてもだ。憧れるのはそれを決して持ちえないからだろう。森センセイが『ミステリィ工作室』の中で「大した作品ではない。場つなぎである」と書かれている。つまりこの作品は「無駄」ということだ。でもこういうことがあらゆる事に必要なのだろう。
真夜中の悲鳴 Acoustic Emission
結婚しちゃったのね(笑)。今回の事件が弾性となり結婚はその反響(Acoustic Emission)というわけだろうか。もしスピカが5年回り道をしなければ、石阪とは結婚したかわからないわけで――人生って何があるか分からない。スピカって、化粧っ気もないし、きっといつも汚い格好とかして色気なんて全然ないんだろうけど、何かに夢中になっている人って素敵だなと思う。
優しい恋人へボクから To My Lovely
人を好きになるということは自分より気になる他人ができるということなんだ。「自分の気持ちを分かってほしい」とか一方的に愛情をかけることが多いけど、それは相手のことが本当に好きなわけではなく、こんなにも相手を思っている自分が好きだということにすぎないのかもしれない。人を好きになるということは、とても優しい気持ちになるということなのだろう。
ミステリィ対戦の前夜 Just Before the Battle for Mysteries
前半部分はよく「このミス」とかにある座談会のパロディなのだろうか?1つの作品を取っても色々なけなし方のアプローチがあってそれが愉快。もちろん1番破壊力があるのはモエさんの無視するというのだろうけど……。後半部分は岡部くんの1本勝ちといったところ。決まり手はもちろん「読者が犯人」というところではない。「読者が限定されている」というところだ。
誰もいなくなった Thirty Little Indians
これこそミステリィ対戦と言った話。――ああだから前の話が「前夜」なのか――という考えはうがちすぎか。萌絵さんも言っていますが、自分だけ分かっていて他の人が分からないのを見ているのは、自分が万能の神様にでもなったように、とても気持ちの良いものだろう。その気持ちの良さが、あれほど「困る」とか言っていたのに、犀川センセイを前にしてツアの内容を説明させてしまったのかもしれない。自分が考えた謎を犀川センセイがどう評価するかきっと知りたかったんだろう。――萌絵さんはここでも1本負け。犀川センセイ出番はわずかだけどこれがまた格好良い。「これが……犀川先生か」という述懐がもうすべてを物語っている。これって犀川センセイはツア参加者じゃない、後から説明を聞いた――いうならば読者的、メタの立場だったから分かった――という考えもやはりうがちすぎか(うがちすぎです)。
何をするためにきたのか The Identity Crisis
RPGゲームのパロディか。フガクにはセリフが無いし、登場人物もノンプレイヤーキャラクタのように意味ありげな、でも主人公に情報を伝えるためだけのセリフを言うだけ。フラグを立てないと先へ進めない物語。――きっと本物の人生だってRPGゲームみたいなものだ。意味があるようで意味がない。意味があると思っている、そう信じている自分がいるだけ。何か特別なことがあるに違いないと待っていても、フラグが立たないゲームのように決して何も起こらない。何のために――そう考え続けることに意味がある――と考えている幻想。。そういう役割を演じつづけているだけである。
悩める刑事 A Detective in Distress
『ミステリィ工作室』によれば何か新機軸があるらしいんだが分からず。夫婦のキビを描いている所がそうなのか。とても欲しかったものなのにようやく手に入ると思うとそれで満足してしまうという心理はよく分かる。なんだってそうだが当日より前夜のほうが楽しいものだ。実際にそれを手にすると興ざめして見向きもしなくなったり、当たり前だと思うようになったり。キヨノが手に入れた――入れられるものって「本当の自分たち」だろう。モリオは打ち明けることでそれを手に入れた。キヨノもそれを手に入れられる――だから今は手に入れずに「手に入れられるんだ」ということで満足してるのだろう。
心の法則 Constitutive Law of Emotion
『まどろみ消去』の真髄ともいえる作品かもしれない。とても不思議で幻想的な話。心の法則とは意図的に現実と寸分も変わらない幻想を見る方法だろうか?被害者と加害者の合一。最後のセンテンスは自殺をほのめかしている?幻か?現実か?幻惑される、眩暈がする。――言葉に還元できないイメージというものは確かに存在する。――でも不思議なことである。もともと言葉で綴られた物語なのにそこから受けたイメージを言葉に還元できないなんて。言葉とは他人に自分のイメージを伝えるための媒体である。この作品から受けたイメージは十人十色。人には伝えられない個人のものである。
キシマ先生の静かな世界 The Silent World of Dr. Kishima
……見よ。人生を洗練した人がここにいる。
――よくよく考えればキシマ先生は自分の世界だけに閉じこもった危険な人物なのかもしれない。ただふたばはキシマ先生を「純粋」だと思った。とても綺麗な生き方だと。こんな生き方をしてみたい、――こんな生き方ができるだろうか?「僕」のようにどんなに真摯に学問へうち込こもうと、いつのまにかに人は変わっていく。これを成長というのだろうか?――いつのまにかに純粋さは失われる。生きることは無駄を身体につけて重くなっていくことなのか。それを醜いこととは思わない。でもキシマ先生のような人生はとても綺麗だ。人はどうして純粋ではいられないのだろう。楽しいことだけを数珠のようにつなげて生きてはいけないのだろう?――沢村さんのことはもしかしたら神様がキシマ先生を試したのかもしれない。何処まで学問に捧げられるかを。自殺した沢村さんは気の毒だけど――普通そんな研ぎ澄まされた生き方は出来ないのだ――でもキシマ先生がまた静かな学問に捧げた生活へ戻っていったことにホッとした自分が確かに存在する。もちろん自分にはできないけど、結晶のような綺麗なものを失いたくないのだと思う。「僕」もきっとそう感じたのだろう。
いつから、僕は研究者をやめたのだろう?
一日中、たった一つの微分方程式を睨んでいた、あの素敵な時間は、どこへ行ってしまったのだろう?
キシマ先生と話した、あの壮大な、純粋な、綺麗な、解析モデルは、今は誰かが考えているのだろうか?
世界のどこかで、僕よりも若い誰かが、同じことを悩んでいるのだろうか……。もしそうなら、
――『キシマ先生の静かな生活』より