★ネタバレ感想★


人形式モナリザ
Shape of Things Human

森博嗣

 


 避暑地に建つ私設博物館「人形の館」。そこ常設されているステージで、衆人環視の中「乙女文楽」の演者が謎の死を遂げた!被害者の一族では、二年前にも、新婚の青年が殺されていた。悪魔崇拝者だった彼は、「神の白い手」に殺されたのだと、若き未亡人は語るのだが!?ラストの一行で、読者を襲う衝撃の真実!


Vシリーズ第2作。「人形」「操り」「モナリザ」「悪魔そして神」を、キーワードに物語が展開します。
 今回は前回の『「黒猫の三角』より、断然、良いですね。今思うと『黒猫』は、シリーズ第1回ということもあって、キャラクターがきっちり決まってなかった感じです。今回は、紅子さんの内面や前回顔見せでしかなかった保呂草の秘密も明らかにされ、キャラの魅力大爆発。でも、練無としこさんの活躍が少なかったのは残念。まあ、登場人物が多い分、彼らの活躍は次回以降に期待ですね。
 章題も好きです。第7章「その微笑みにはひかえめな優雅さがあるだろう」というのが特に良い。モナリザの微笑ですね。人形で作られたモナリザ。意味のないところが「ひかえめな優雅さ」なのでしょう。
 ストーリーは、相変わらずトリック以外の部分が、奥深くそこが面白い。森作品は、トリックの影に隠れ明かされない部分こそが、本当のミステリーですね。

 今回ふたばは、事件をほぼ完全に解き明かしました。犯人、トリック、そして保呂草のこと、モナリザ――ひいては『人形式モナリザ』というタイトルの意味、ほぼ完璧に紅子さんより早く解りました。つまり、紅子さんや保呂草より、ふたばは天才ということなのかな?いや、いや、そうではないですね。『どちらかが魔女』で犀川が言っている通り、ふたばはクイズを解こうとしているわけで、現実とは逸脱した「催眠術にかかった思考」で見ているわけです。――なんて、えらそうに言ってますが、今回トリックは難しくないので解けて当然かな?

 でも、物語の最後、麻里亜が保呂草の持ってきた写真を見て、「お義母様」と言うところが解りません。麻里亜にとってその写真は、悪魔の写真だったわけで、それを見てそう言うということは、麻里亜という人形を操っていたのは、義母の「巳代子」だったのでしょうか?そう言えばこの人はほとんど出てきてないですね。舞台で人形を操っているときくらいしか……。
 プロローグで、麻里亜の夫の亮は、悪魔の前でまるで人間のように笑い、悪魔の名を呼びました。麻里亜は、その時は恐くてその名を口にはできませんでした。でも、エピローグでは、麻里亜は呼んでいます。「お義母様」と。麻里亜は悪魔に魂を売り、悪魔の操る人形となることで、人間への恐怖を乗り越え、力のあるものへと変化したのでしょうか。夫の亮のように。
 何のために?亮を生きかえらせるために?巳代子は麻里亜にそう思わせた?
 ――麻里亜も、最後には微笑んでいます。人間のように微笑んでいる。人形になった麻里亜の純粋な微笑。その微笑みはひかえめな優雅さがあるのかもしれません。

 

Shape of Things Human――人というものの形

 始め人の形に魂が宿ると考えた。しかし今、最高の人形はコンピュータで、いつのまにかその形が失われた。では、形とは何だろう。人形とは何だろう。

 人は他人を見て「生」を感じることはないのに、人形にそれを見る。それは人形が人のもっとも純粋な型だからだ。人は単純なものにほど、純粋な綺麗さを感じる。人形には何もない。感情も、しがらみも。単純な型、入れ物でしかない。人形は操られることで初めて動き出せる。操られることで生を得る。操られなければ生はない。つまり、人形とは魂の宿る器だ。ただの器、入れ物。魂の座る場所。形に意味があるのではなく、何かに使われる道具。コンピュータが最も人間的なのは、それが人形以上に単純で、削りとられた純粋さを持っているからだ。

 人間だって何かに操られている。
 悪魔?それとも神様に?
 でも、悪魔も神も実は人間が作り上げたもので、人間を操っている悪魔や神がいると、自分自身騙しているのである。人間が人間に感じる恐怖――自分の中にあるはっきりとは解らない恐れから目をそむけるために、人は悪魔や神という「形」を作った。他に恐いものを作りあげることで人間への恐怖から目を逸らしたのだ。つまり悪魔や神は人間のあやつる道具――人形なのである。人は道具に操られることはない。
 人を操っているものは、本当は人の中にある「形のないもの」だ。それは宗教的な観念のものではない(宗教自体、人間の作った道具だ)、きっと「他の自分」といったほうが近いものだ。

 普通、自分たちが何かに操られているとは考えない。でも、人形を見る時、人は自分たちを操っているものの存在を無意識で感じ、人形に人の生を見る。

 

「自分の内の意志を忘却し、消去して、外側に虚構の意志を造りあげる。保呂草さんの言ったとおり、これがすべての宗教の基本原理かもしれない。そう信じることで自分を保持する。自分を生かす。そうしないと、保持できない。生きていけない。それが人間の脆弱さであり、柔軟さでもある」

――瀬在丸紅子


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