★ネタバレ感想★
多重人格探偵サイコ 雨宮一彦の帰還
大塚英志
「ルーシー7の七人目を探して。そしてその者の左目に見たことのない痣があったらためらうことなく殺して」。軽井沢の山荘で暴発した「革命」の生き残り・焔妖子から警視庁キャリア・笹山徹に託された奇妙な遺言。笹山徹の「終わらない夏」の物語の最終章が始まる……。
マンガ版そして小説版の再構築版という感じ。無論、この話オリジナルの事件はもあるけどそれは雨宮一彦の事件ではなくマンガ版ではオチャラケななんちゃってキャリア・笹山徹の事件であるというところが意味深いような気がする。某雑誌で大塚氏が連載している『MPD-PSYCHO/FAKE試作品神話』において笹山についてのこういう記述がある。「(笹山が)PSYCHOシリーズの真実の主人公/笹山だけが生き残りつづけることでそのことは立証されるだろう」。彼がなぜ主人公なのか?それは彼がいつも置き去りにされる存在――僕たちと同じだからだ。
僕らもいつも置いていかれる。なにか自分だけな特別なことがあるのではないかと思いながら結局何もない。僕らはいつも特別なヤツをTVの前に座ってみるドラマのように見ているだけだ。あるいはそれがイヤで、少年たちは事件を起こすのかもしれないとも思う。つまり彼らもまた特別ではない。ほんの少し僕らより勇気があった――それともなかった――僕らの一員でしかない。作中の僕らの世代にオリジナルな物はなくすべて借物でしかない――という指摘はたぶん正しい。模倣こそが僕らの文化とすらいえるかもしれない(だから1人が境界を越えたと知ると後堰切ったように同調者が現れるわけだ)。すべて出来あがってるところに遅れてきた世代――それが僕らだ。作るべき道もない。作られた道を歩くことしか出来ない。それが僕ら。その事に関して、物語の最後の方で出てくる大江公彦(物語に拘わらない語り部である彼はもしかしたら僕らの代表なのかもしれない)からのメッセージが印象的だ。「バーコードとはそれが唯一のオリジナルの証しではなく、マスプロダクツ、大量生産品であることの証しなのだ/人は狂ったようにバーコード付きで流通する同じ物語、同じ音楽を何百万という数で消費し、にも拘わらず、その物語や音楽の中にまるで自分がいるように誰もが皆感じているのではないか?」。特別な存在に憧れる少年たち――そして僕らも特別になることを憧れる特別でない存在に過ぎないのかもしれない。作られた夢の中でその夢を模倣することでしか僕らは生きられない。
そこまで書いて僕はふと気がついた。先に僕は笹山徹が僕らと同じだと書いた。でももしかしたら笹山だけが特別なのではないか。彼は何の才能もない平凡な男だ。いつも取り残される――いつも選ばれない存在。そこまでは僕らと同じだ。でも彼だけが夢を見ない。――イヤ見られないというのが正確かもしれないが、とにかく、1度はそれを夢見ても見ても、それに憧れても、彼はその夢を見続けることを拒否する――拒否される唯一の存在ではないか。いつもカヤの外だからか――彼だけが『PSYCHO』という作られた夢から最終的こぼれおち、結果として外から眺めれる特別な存在なのだ。彼にはバーコードがない。それは彼が大量生産品ではないという証しだ。バーコードがなくてもこの作品の登場人物たちは上野達のように特別でありたいと願うものたちばかりだ。伊園磨知にしても「雨宮一彦」という夢を見つづけたいと願う。
この物語のサブタイトルは「雨宮一彦の帰還」。でも本当は「笹山徹の帰還」だ。彼が唯一見つづけた「ルーシー7」という夢から覚めて帰還する物語。彼の「終わらない夏」は終わった。僕はこの物語を読んで彼が好きになった。彼は無能だけど、でも他の登場人物から好かれている気がする。それは彼だけがオリジナルだからかもしれない。もっともそう思うこと自体、僕がこの作品によってマスプロダクツされた証しかもしれないけど。
「ディズニーランドのアトラクションはすべて
死と再生の儀式を再現している、というのを聞いたことがあるかね?お伽話はすべてそうだ」