★ネタバレ感想★
依存
西澤保彦
<あらすじ>
白井教授の豪邸に招かれたタックたち一行。教授から再婚したその婦人を紹介されて、タックは衝撃を受ける。それはタックの実の母親だったからだ。そしてタックの口から語られる衝撃の真実。「ぼくには、実の母親に殺された双子の兄がいたんだ――」。タックシリーズ。
<感想>
タックシリーズ。細かい事件(問題?)を散りばめて1つの形を作ろうという構成。その形とは「依存」なのだろう。作中で説明されている、やめたいと思っていてもどうしてもそれをしてしまう強迫観念、よりも積極的な自ら望んで作り上げる「思い込み」そして「執着」という意味で。殺人らしい殺人は――それどころか事件らしい事件すら起こっていないのに、それよりもはるかに「おぞましい」と感じる。やはり親子相姦というのは人間の根源にあるタブーなんだろうと思う。そしてそれをおぞましいと感じるのは、ほとんどの親子関係がそれを根源的なところでは親子相姦を望んでいるからなのかもしれない。崖の下を覗くとき恐いと思いながらもそこに惹きつけられていく感覚。だからおぞましい。親を厭いながら、親と同じような人を自分のパートナに選ぶ。子供に愛情を注ぐあまり子供だけが世界のすべてとなってしまう親。いずれもよく聞く話だ。しかしそれがタックの兄の話というのならおぞましいとは思いつつ、まだ他人事だった。しかし、実はそれはタック自身のことだったと知ったとき、正直かなりのショックを受けた。フィクションの世界のことながらこれまでずっとこの世界にタックたち4人に付き合ってきた者として、そのおぞましい関係が一気に身近なモノになってしまったから。
それにしても人間関係へ執着というのは恐ろしい。もしそれがすぐに手に入るならそこまで執着はしなかったはず。手に入らないからこそそれにますます執着するんだと思う。手に入らないという現実から目をそむけ、何とかなるんではないかという自分の都合の良いファンタジーの世界にしがみつく。その世界では手に入れている自分がいてきっとその通りになるはずだと「思い込む」。思い込むことは記憶すら改竄するらしい。正そうあれば良いなと思っていたことが思いこむあまり、それがその人にとっては唯一無二の真実となってしまう。「思い込む」ことはあるいは「一途さ」と言い換えることができるかもしれない。「一途な想い」というとなんだか良いイメージで意地らしく可愛い気もするが、実は恐いものだ。なぜならそれは自分だけの思いであり他人は存在しないから。一人よがりの愛だ。恋愛とは相互の了解が合って初めて成立するもの。もしその一途さを相手が受け入れてくれるなら良いが、もし受け入れてくれなかったら――。恋愛の了解は、形にはなかなか現れないものだから、相手も自分と同じ想いだと誤解する輩もいるわけである。あるいは拒否が現れているのに自分の想いのかまけて意図的の無視する。――そんなはずはない、自分がこんなに思っているのだから相手もそれに答えてくれるはずだ――答えなければならない――答えるべきだ――答えているんだ――と。
子離れできない親というのも、たしかにストーカー行為と同じかもしれない。子供のためを思ってという題目があるから、そうは認知されないけど、他人の人生を自分の人生に履き違えている点では同じだ。親は子供が人生を誤らないように見守っている。もちろんそれは当然のことかもしれないけど、いきすぎた愛情には他人が存在しなくなる。それは恋愛関係も親子関係も同じだ。いつしか子供の人生と自分の人生を見誤り同一化していく。初めは子供のためを思って見守っていたはずなのに、いつしか子供の人生が自分の人生となり生きがいとなる。手段はいつしか目的に変わっている。子供の人生に「依存」して生きているわけだ。しかも子供のためという形骸化した理由が表向きは残っているから自分を欺き続けていく。子供は自分の生み出したものだ。だから子供は自分の一部だという感覚はわかる。でも子供は親の人形ではない。
誰にだって多かれ少なかれ、そう周りを見ない自分だけの執着、依存はあると思う。それは端から見るとおぞましくみにくいが、当人はそれに気がつかない。自分の発する匂いには気が付かないものだ。その執着から抜け出すにはそれに気づくしかない。そして悪臭を放っている自分を認めるしかないのだ。そこが分かれ目なのだろう。妄執の人になるか、ならないかの。誰でもその種は持っている。今回の事件でウサコはその事件を自分の身に置き換えて自分を客観視する事でそれを認めることが出来た。でも美也子さんはタカチにそれを指摘されたのも関わらず、認められずにタックに執着し続けている。誰も自分の味方になてくれなかった過去から自分の子供だけは味方になって欲しい。自分のそばに置いておきたい、離れて欲しくないから自分がそれまでそうしてきたように実の子供と肉体関係まで結んでしまった美也子さん。親から受けて虐待には同情するし、それを子に返してしまった点も理解できるかもしれない(許せるかはともかく)。でも彼女の中で手段だったものがいつしか目的に変わっている。執着することに依存している。もっと実りある別の人生もあったかもしれないのに、その執着を人生の目的にしてしまったのだ。そんな行為で築いた親子関係が果たして彼女が初めに望んでいたものだったのだろうか?ウサコは自分が過ごしてきた時間を嘘にしたくないから自分が作った欺瞞を認めた。「執着する」ことはそこに留まること。いつまでも変わらないということだ。でもウサコはいつか変わっていく関係を認めた。だからこそ今この時を大切にしようという道を選んだのだ。
タック、タカチという呼び名はボアン先輩たちのコミュニティの呼び名である。しかしそう呼ばないところにそこから出た新たな絆を感じる。いつまでも変わらないでいて欲しいと思っていたけど、タックたちは成長していく。彼らの関係も変わっていく。読み終わった後、なんだか嬉しいような、寂しいようなそんな感覚だった。きっとウサコも、そしてボアン先輩もそんな気持ちなんだろう。
それは。
あたしにとって生涯、忘れられない朝。
三回生の年の。
七月二十八日。
あの日の朝――
ずっと心に秘めていた、あたしの恋は、ひっそりと終わって。
そして。
ここから新しい絆が始まる。
愛するひとたちとの。
――ウサコ