★ネタバレ感想★


おもいでエマノン

梶尾真治

 


<あらすじ>

 長い髪にエキゾチックな顔立ち、そばかす、租編みのセーターにジーンズ。ナップザックにしるされてE・Nイニシャル――。「私は地球に生命が発してから現在までのことをすべて記憶しているのよ」。NO NAMEの逆さ綴り、エマノンと名乗る少女が旅の中で人との出遭いと別れを繰り返しながら積み重ねる「おもいで」をえがく短編集。


<感想>

 おもいでエマノン
「おもいで」って何だろう?――歴史や記録が「おもいで」のすべてではない。なぜなら「おもいで」とは愛しさと切なさの中で思い出されるものだから。歴史や記録は時の積み重ねたもの。しかし「おもいで」は時と共に「人の想い」も積み重なっている。「おもいで」を切なく愛しく思うのは、時は無限に流れ続けるがその時そう思った気持ちは一瞬のものでもう決して帰ってはこないからだろう。

さかましエングラム
晶一がエマノンにだけ心を開いたのは、エマノンの血とともにエマノンの記憶が晶一の中に入ったからだけではなく、エマノンの記憶の中にすでに晶一の記憶が刻まれていたからかもしれない。すべての生命の源が宇宙から発したように、すべての生命のおもいではエマノンから発するのかも。晶一は星になり生命は宇宙へ帰ったが、おもいではエマノンの中へ帰ったのだろうか。

ゆきずりアムネジア
おもいでを失うとその人がその人でなくなってしまうのだとしたら、人の意志とはおもいでの中にあるんだろうか?もし違うおもいでを積み重ねていたとしたらその人は今そうであるようにいられないだだろう。――地球生命の記憶を持つエマノンは地球の意志なのかも知れない

とまどいマクトゥーヴ
神月の「人間のもつ知性とは進化の粋ではなく、ひ弱な人間が身を守るために持ったのトカゲの尻尾切りと同じ生き残るための能力に過ぎない」という考えが面白い。エマノンの中にあるのは記録ではなく「おもいで」。それは記録の中で人が持った喜びや悲しみ怒りなど――人の意志だ。エマノンは人々の意志をためこんでいる生きている。だから神月のような自分の意志の外の何者により存在させられた者を嫌悪し哀れむのはあるいは当然なのかも知れない。過去は定まりもう帰ってこないけど未来は決して定まってなどいない。マクトゥーヴ「運命付けられたもの」などいてはいけない。

うらぎりガリオン
ガリオンは常に待っていた。別の者をあてにして自分の足で歩こうとはしなかった。エマノンは歩き続ける。自分の足で。未来は何者かに左右されているものじゃない。道のない原野を自らで方向を定め歩いていくものなのだ。

たそがれコンタクト
人の存在意義は「ある」のではなく「作る」ものだと思う。自分にとって必要な人あるいは必要だと言ってくれる人と作ったあるいはこれから作る「おもいで」こそ自分が生きた証。「楽しかった/ありがと」。そも言葉こそが自分の生きた証だ。

しおかぜエヴォリューション
なぜ人は生きた証を残したいと思うのだろう。それは自分の存在が無に帰ることを人は絶えられないからだ。しかし、どんなに形や記憶を残そうと自分が存在したという証は無に帰る。それならなぜ人は生きるのか?生きる意味があるのか?――それは正直わからない。ただ、そもそも残すことは他人の目を気にしての行為だ。それは嬉しいことだが本質ではない。自分が一生懸命やったその結果だから嬉しいのだと思う。結局、人生とは結果ではなく道程。残るものではなく、残そうと懸命に生きたことに意味がある。「ああ、力の限り生きた」という末期の思い。それは自分の死と共に消えてしまうが、その言葉の価値は他人の目ではなく自分の中でこそ最高の価値を持つ。――それ以外の満足があるだろうか?

あしびきデイドリーム
生きた証を残すことにあまり意味はない問題はどう生きるかだ、と上では書いた。しかし人と人との思い出に対してはそうではないのかもしれない。もちろんそれだっていつかは消え去る。しかし出会ったその人への思いはその人が愛しいと思えば思うほど消えて欲しくはないその人の中にもいつまでも残っていて欲しいと思うはず。――たとえ離れ離れになっても、自分が消え去ったあとも。なぜなら大切なおもいでを嘘にしたくないから。確かに自分の中にそのおもいでがあったとしても、出逢いのおもいでは共有されてこそ初めて価値を持つ。輝良が人々の中から消えてしまった暉里のおもいでを探し歩いたのはそのため。確かに暉里と出遭ったという証が欲しかったから。暉里と出逢い今その事を何よりも大切にしている自分を嘘にしないために。暉里と出遭ったからいまの輝良がいるのだ。暉里が輝良からおもいでを奪わなかったのもそうだと思う。自分のことを生まれさせて欲しい、そして二人で過ごした大切なおもいでをなくさないで欲しい。輝良が里に残ったのも――そうしなければ二人は出遭えなかったから。

 エマノンは「数時間一緒にいても、数十年一緒にいても同じこと」と言った。それはなぜか?誰だって好きな人とはずっといたいと思うはずだ。――きっとエマノンは出遭いは別れの始まりであることを実感として知っていたのだろう。去ってしまうものなのだ、人は。エマノンの生きる時間が僕らと違うことは関係ない。僕らはエマノンに取り残されたと思うけど、エマノンだって僕らに去られたと思うだろう。同じ時間を生きるもの同士だっていつか別れる時がくる。人の出逢いの重さに時間の長短はない。別れの切なさに変わりはない。共にいる時間は関係ないのだ。大切なのは「おもい」。好きだったという気持ち。僕らとエマノンの出遭いはたしかに一瞬だ。しかしそれは何十年も連れ添った人との別れより軽いだろうか?エマノンとであったことを大切に思い、そのとき抱いたおもいを死ぬまで持ち続けるであろう人たちがいる。
 エマノンですらアイオンのようにいつか消える日がくる。あるいはこの世に永遠なものなどないのかもしれない。しかしたとえエマノンが消えても、同じようなおもいをまるで受けついだかのように抱く人たちはきっといる。おもいは永遠だ。――そう信じたい。永遠とはそんな刹那のおもいが積み重なってできているものなのだと。エマノンとはそんな刹那のおもいが永遠であることを象徴している存在なのかもしれない

 

「数時間一緒にいても、数十年一緒にいても、好きだったというおもいでは私にとっては同じことなんだもの」

――エマノン(『おもいでエマノン』より)


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