★ネタバレ感想★


今夜はパラシュート博物館へ
THE LAST DIVE TO PRACHUTE MUSEUM

森博嗣


<感想>

 短編集第3弾。今回のテーマ(?)はパラシュート――つまり「オチ」の博物館だそうである。そういわれればすべての要素はオチのためにあるそんなな短編ばかり。全体的に、一度読んだだけでは首をかしげるような作品が多いのが特徴。なんだか不思議な感覚――いったい何が問題なのか?――それを考えながら何度か読んでみるのが正しい読み方かもしれません。そういう意味で、「粋」な作品群だと思いました。

どちらかが魔女‐Which is the Witch ? ‐
壁画の謎はわからず。足場かな?とも思ったけど……。話しているうちに自分の都合の良いように脚色して、それがいつの間にか自分の中の真実となってしまう、というのはよくあることですよね。自分かけあった魔法、か。素敵ですね。素敵ですが、恋愛とは通常の状態でない――魔法にかかっている状態である――ということの表れでしょう。犀川センセイのセリフは相変わらず含蓄あって深い。「客観的であることが、すなわち自由という意味」「客観的に見ればこんな簡単なことが現実には盲点となる」。何事も入れこむと周りが見えない。それはそれで楽しいから良いんですが、入れこんでいるというのは魔法にかかっている――通常の状態ではないんでしょう。客観こそが魔法にかからない方法。犀川センセイは萌絵と窓ガラスに映る姿を見ながら会話をしていますが、それが犀川センセイの萌絵に対するギリギリな客観なのかな。

双頭の鷲の旗の下に‐Uter dem Doppeladler‐
イニシャルの高校生たちをS=犀川創平、H=喜多北斗と思っていたら、見事に引っかかりました。作中にもありましたね。「思考は最初の印象によって無意識に限定される」と。「双頭の――」を「ボギー大佐」と1度思い込んでしまうといつまでもそれを引きずってしまったように。薫田川夫人を間違えたように、ね。1男の子として意味のないイタズラに夢中になってしまうというのはよく分かります。女の子にはない感覚なのかな?モールス信号のくだりは何か意味があったのか分からず。

ぶるぶる人形にうってつけの夜‐The Perfect Night for Shaking Doll‐
もう「ぶるぶる人形」というのが抜群のインパクト。バカバカしさで秀逸なアイデアですね。しかし本当に紙人形が目の前で踊っているのを見たら――それは最高の不思議です。ぶるぶる人形出現のあたりの描写の幻惑感は、まるで本当にぶるぶる人形が自分の目の前で踊っているように思えました。練無の視点を通して本当に僕たちの前でぶるぶる人形が踊った――そういう体験をしたわけです。もちろん冷静に考えれ、絶対にタネがあると分かること。でもぶるぶる人形が踊ったときに感じたその不思議さはけっして偽りじゃないと思います。練無がそうしたように、それ以上のものはもういらない、不思議な物を見た、驚いた、得した――それで終わり。
蛇足:「形以外に見えるものはこの世にない」――名前を聞かれて最後に練無にそう告げたフランソワ。彼らがまわった建物の形に彼女のサインが。「MOE」

ゲームの国‐The Country of Game‐
全編に遊び心一杯な作品。まさにゲームの国ですね。名前が将棋の駒になっているというのは分かったけど、まさかそこからチェスにいくとは。チェスのルールはよく知りません(でもキャスリングというルールがあるのは知っていました)。ちなみに磯莉探偵が唐突の考えているアナグラムは森ミステリィ5作目までのタイトル(「のっそり、お手」だけは『鉄鼠の檻』)。そして磯莉卑呂矛(いそりひろむ)という名をアルファベットにして逆から読むと?(笑)。――だからどうしたと言われればそれまでだけど……ほらゲームだから。メテ・クレモナだけは分からず。分かった人は情報求む。

私の崖はこの夏のアウトライン‐My Cliff is the Outline against this summer‐
失った左目だけが見られた世界に憧れ、左目を羨み、もうけっして見ることが出来ないものを求めていつまでも同じ夏を繰り返す男の話。見られなかったもの、手に入れられなかったものというのは想像の中で美化され、とても綺麗に見えるんでしょう。想像の中の海が美しかったように、現実の海が恐ろしいように。死も想像の中では美化されても、現実には足がすくむ。――読んでいてクラクラする幻惑感が魅力な1篇。「左目だけが見る夢」――というのは『黒猫の三角』のポエムにも登場していますが何か謂れがあるのかな?右目より左目のほうが、なんだか詩的。

卒業文集‐Graduation Anthology‐
盲学校だったのね。形が見えない文章ならではの盲点です。そう考えて読んでみると文集に書かれているのは音・匂い・触感のことだけ。目に見えることはすべて伝聞。先生が生徒たちの気持ちが超能力者のようにわかったのは、わかろうと努力したから。こんな先生だったら卒業したくないだろうね。

恋之坂ナイトグライド‐Gliding through the Night at Koinosaka‐
えーっと……鳥かな?チュチュは多分燕だと思います(紫のアイシャドウと「渡る」ことで)アルバは何かな?街にいる鳥といったらカラス?スズメ?鳥だったら、庇の上に靴を並べてみても可笑しくないよね。羽ばたいて飛ぶよりも風にのって舞いあがっているほうが鳥にとっても気持ちがよいでしょう。ときどき鳥もビルの間なんかでこんな風に遊んでいるんでしょうか?「一度でも幸せになると、それがいつまで続くものなのか、心配になる」というアルバの気持ちは痛いほどわかります。楽しいときが終わることを心配してその楽しさを味わえないことってふたばにはよくあります。

素敵な模型屋さん‐Pretty Shop of Models and Toys‐
現在と過去が錯綜しているのかな?子供のころ夢見た素敵な模型屋さんをお爺さんになって実現したというオチ?それとも子供が年と経た時のことを想像してこんな素敵な模型屋さんをやっているだろうと想像しているのかな?――これはもう模型に対する子供のころの作者の強い「憧れ」を感じますね。子供のころ見た夢を大人になっても持ち続けていられるって素敵。――小さいころ見上げた、果てしない夢。その第一歩のそれだけでは何の役にも立たないプロペラ。そのプロペラを眺めながら――大空を舞うラジコン飛行機を思う――。「大人になっても模型が続けられる」――きっと夢に大人も子供もない。一歩一歩それに近づいていく喜び、それがあるだけ。

 

「世の中に存在する問題の大半は、問題自体がどこにあるのか、何が問題なのか、ということが明確に提示されない。それが最大の問題なんだ」

――『どちらかが魔女‐Which is the Witch ? ‐』犀川創


 戻る