★ネタバレ感想★


夏のレプリカ
Replaceable Summer

森博嗣


<あらすじ>

 天才老奇術師・有里匠幻の事件と同時期――萌絵の親友の簑沢杜萌の一家が誘拐された。しかし犯人の二人がお互いに撃ち合ったかのように車の中で死亡し、もう1人が逃走。杜萌も家族も無事だったが、杜萌の血の繋がらない兄、盲目の詩人素生だけが家から忽然と姿を消した。誘拐?それとも――?まばゆい夏の日に封印された記憶が甦る。S&Mシリーズ第7弾。


<感想>

 S&Mシリーズ第7弾。再読。前作『幻惑の死と使途』と同時期に起こった事件を扱っており、今作は偶数章だけで語られる。

 『幻惑』と対になっていることにはもちろん意味がある。事件的なつながりは全くないが、今作は『幻惑』なくては語れない部分が多い。『幻惑』の裏なのである。表は表だけで独立して存在できるが、裏は表なくしては存在できない。テーマも前作と同様の「名前」であるが、「名前」の持つ意味の「裏」がわである。「名前」は実体とはかけ離れてイメージを持つ、という点では『幻惑』と同じ。ただ『幻惑』では、そのプラス面――名前の込められたイメージを肯定的に捉えそれを永遠に定着させようとした男の話だった。それに対して『夏』は本当の自分とは違うイメージを持つ「名前」を突破しようとした女性の話だった気がする。

 「人の名前に気刻まれたものは、簡単には消えない/余程のことがあって、実体とのギャップがある程度大きくなるまで、ギリギリになるまで、防御し続ける」と本文中にある。これは本作トリック的な部分に強く拘わっているしメインテーマでもあるだろう。
 『幻惑』で初登場したときの簑沢杜萌は、ちょっと斜めに構えてはいるけど案外面倒見の良い女性で、萌絵にとっての親友かつお姉さん的存在というイメージが強烈に刷り込まれた。これは萌絵の視点から書かれているので萌絵の杜萌に対するイメージ――つまり萌絵の「杜萌」という名に対するイメージということになる。そしてこのイメージがまず読者の杜萌のイメージとして定着するのだ。『夏』にはいり杜萌の視点から書かれることでそのイメージは微妙に変化する。意外に刹那的破滅的な面を見るのだ。しかし、最初受けたイメージとのギャプも、刷り込まれた萌絵のいちばんの親友というイメージがあって防御される。しかも物語が彼女の視点で書かれることで読者は彼女とシンクロして彼女として事件を眺めていくことになる。犀川がいうところの「あまりに事件の当事者」となり、萌絵が落ちた同じ罠に落ちるのだ。まさか萌絵の親友であり兄を親身になって心配する「杜萌」が男を1人占めにするためにという非常に俗っぽい理由で人を殺すとは思わない。思えないのだ。
 この名前の持つイメージの陥穽こそが本作のメイントリックだ
 「名前に刻まれたものは、簡単には消えない」のだ。人は変わる、生きていくうちに少しずつずれていく。しかし一度ついた人のイメージはそのズレを無意識に補正して、慣性のように同じイメージを維持し続ける。萌絵は杜萌をずっと親友だと思っていた、聞けばなんでも答えてくれる、隠し事などお互いにない、すべてを分け合った存在だと。確かにそうだった。犀川センセイのことや、素生のこと、両親のことも、犬のロッキィのことも、お互いまず打ち明け仲れば気がすまないというように話している。でも――それでも言わないこともあるのだ。杜萌は嘘は言っていなかった。言わなかっただけ。聞かれなかったから――。
 「貴女が……、殺したのね」と。
 萌絵は杜萌にチェスで負けることで杜萌の中の激変に気がつくという「余程のこと」があって真相に至った。他のすべてを犠牲にしても最後の欲しいものを取る――それまでの杜萌とは違うその思考。何が彼女を変えてのか?自分の知らない杜萌がいる――そのことに気づき、自分が杜萌という内側に入りこみすぎていたことに気が付いたのだろう。
 内と外。
 確かに『幻惑』の事件は初めから積極的にかかわっている。それに対して同時期に起きた『夏』はあとまわしにされてこれまでの中で1番かかわりの薄い客観的な事件といえるのかもしれない。しかし『幻惑』は所詮他人事。萌絵とは直接かかわりのない事件だ。それに対して『夏』には親友である杜萌が拘わっている。ある意味これまでに事件の中でいちばん内側にいる事件といえるのではないだろうか。

 萌絵と杜萌は親友同士であり、高校生まではとても近かった存在。同じ「萌」という字が名前に使われていることもあり、ふたばは、杜萌はもう1人の萌絵ではないかと思えた。――同じ道を歩いていたはずの二人が別々の道を歩くようになり、すこしずつずれ始め、いつしか全く違う二人になっている。杜萌は萌絵の裏であり、萌絵は杜萌の表。あるいはその逆か。杜萌はもしかしたらそうなっていたかもしれない可能性の萌絵なのではないか。Replaceable Summer――取りかえられる夏。誰の夏と取りかえられるのか?
 萌絵と杜萌の最後のチェスのシーンはとても印象的で好きなシーンだ。杜萌の思考の疾走感がスピーディでゾクゾクするほどスリリング。杜萌を視点にした萌絵の描写が素敵。杜萌の萌絵に対する気持ちの純粋さがとても綺麗。他のすべてを捨てても萌絵を手に入れたい――手に入れるために勝ちたい――そんな想いが伝わってくるような気がする。この勝負の間の一瞬、この二人はとても近かった、同じだった、そんな気が。

 ――将棋の駒で「歩」が敵の陣地に侵入すると裏返って「ト金」となる。これは「金」と同等の能力を持った駒だ。境界を越えて裏返り「モエ」と同じ能力を持ったのが「トモエ」――これはちょっと逸脱しすぎる考えかな。

 

「いつかきかれる、いつかきかれる、と思っているうちに、自分でも問わなくなる。周りも尋ねない、たぶん、人間がどこから来たのか、そして、どこへ行くのか、その質問と同じだ」

――犀川創平


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