★ネタバレ感想★


催眠

松岡圭祐

  


<あらすじ>

 ある嵐の晩、偽催眠術師・実相寺則之の前に、突然現れた色白の女。稲光が走り雷鳴のとどろく中、突如女は異様にかん高い声で笑い出し、自分は宇宙人だと叫び始めた――。肝をつぶす実相寺の前で、その女が見せた異常な能力とは?そして女の前に現れた東京カウンセリング心理センターの催眠療法科長・嵯峨敏也が見ぬいた女の能力とは?


<感想>

 映画の予告編が、面白そうだったので読んでみた。映画はサイコホラーぽかったが、原作は、どちらかと言えばミステリーっぽい。と言っても、殺人事件も、犯人探しもないけど(実は、犯人探しはちょっとある)。多重人格を扱っていても、恐さを前面に出さず、むしろ、多重人格を含む、精神病への偏見を戒めている。どんな人にも正常と異常はあると。社会派小説なんだろうか?

 理性があると、記憶力が落ちるらしい。子供ころ、理性があまり働いてないときは、言葉をはじめ、ありとあらゆることを記憶する。が、成長して、理性が働き始めると、精神に負担をかけないように、記憶することを取捨選択し始める。つまり要領を得てきているわけだが、そのことが逆に邪魔になって、記憶しづらくさせているらしい。つまり、理性を抑制すると、記憶力が良くなると言うことか?睡眠学習は、論理的には効果があるのかも。(ほんとか?)

 催眠をキーワードに、セラピストで催眠療法のエキスパートである嵯峨と、インチキ催眠術師の実相寺を対立させることによって、実は催眠とは、相手に働きかけて意のままに操ることではなく、被験者の心の問題を浮き彫りにする手段だと言うことを明らかにしている。超能力の見世物ではなく、心のケアなのだ。

 確かに、精神病と言うだけで、斜めに構えてしまうときがある。ふたばは、差別はキライなので、なるべく差別的な発言はしないように心がけている。が、それでも、発言しないだけで、心の中では、引いてしまっている自分に気づく。
 むしろ、口に出して言ってしまうほうが、まだ、潔いじゃないかとも思う。なぜ、差別はだめだと思うかと考えると、それがカッコ悪いと思えるからだ。でも、差別をカッコ悪いと思うのは、相手への配慮でなく、自分の中のことである。親切にしなきゃと思うのは、相手を思いやってと言うよりは、自分自身の満足でしかない。自分にしか関心がないのは、子供だからだと聞いたことがある。

 つまり、ふたばは子供か。

 

「――どうしても自分が正常であることを再認識したがる心理がはたらき、自分と精神病の人との間に明らかな線引きを求めたがり、差別的な衝動が生じることもあるでしょう。それは現代人ならだれでも持ちあわせている欠点です。しかしその欠点をみとめ、正しい認識を得る努力をする前に、目を背けてしまう人が多すぎるんです。」

――嵯峨敏也


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