★ネタバレ感想★
六道ヶ辻・死者たちの謝肉祭
栗本薫
<あらすじ>
終戦直後の東京。生きる気力を亡くした復員兵・西郷将則は同じような境遇の少年・未知夫、踊り子・朱里と出会い、何とか生き長らえていた。しかし「ダイドウジ」という若者と知り合い、彼の一族にまつわる忌まわしき過去を知るとき、彼ら一族の呪われた運命に巻き込まれることになる。おりしも猟奇殺人者<人食い鬼>が町を徘徊する中、死者たちの謝肉祭が幕を空ける。
<感想>
「六道ヶ辻」シリーズのテーマは多分「滅びの悦楽」だと思う。この恋のためならこの身が滅びようともとも構わない、それどころか恋のために身を滅ぼすことこそ悦楽だ――という。今作でその呪われた血を背負う大導寺一族は西御堂 薫だろう。でもこれまでの大導寺家の人々とは少し違う。傍流とはいえ大導寺の血族らしく破滅願望こそあるが、薫が滅びたいのは自己の確立の為であり、他人との愛の為ではないと思う。薫が西郷に見せたように現実から逃避して幻の世界に住んでいるとは思えない。でも薫は自分が本当に現実に存在しているのかその実感を感じられないのではないだろうか。普通なら他人と接し比較することで世界に自分の位置を確認する。でも薫は幼いころから疎まれつづけ1人っきりだったために、現実を把握する能力を欠如したまま育ってしまったのかもしれない。現実感はないし、薫の中には他人も自分も存在しない。現実は幻のようでありリアルではない、だからこそいくらでも他人にそして自分に対して残虐な振るまいができる。薫の中には誰もそこには存在しないから。人を殺し自分を殺す、その行為だけが辛うじてリアルでそれが唯一の快楽なのだろう。そこに現代人の感覚を見る気がする。
西郷将則の心理もまた現代人の心理に通じると思う。昨日までの死と隣り合わせの日常が、幻のようにあっという間に消えうせて、全く違う日常に切り替わる。移ろいやすい現実が夢とうつつを曖昧にしていき自分も周りも現実感をなくしていく。この現実からの疎外感による自己の喪失というのは現代の若者の心理にも通じている気がする。
無気力と残虐性。両極のような二人から共に現代人の心理が垣間見得るのが面白いと思う。共に現実感をなくしながら、ひとりは生きる気力をなくし、ひとりは己の存在を確かめるように人を殺し続ける。共に現代の中高生の間で問題になっていることである。状況がまるで違う終戦直後と現代とで同じような精神状態――原因は違うだろうが――が現れる、それが面白い。共通する何かがそこにあるのだろうか?
この世の果ての果てはどこにあるのか……うつつと夢の境はどこにあるのだろう……
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