★ネタバレ感想★


すべてがFになる
The Perfect Insider

森博嗣

 


<あらすじ>

 十四歳のとき両親殺害の罪に問われ、孤島のハイテク研究所で完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季。教え子の西之園萌絵とともに、島を訪ねたN大学工学部助教授・犀川創平は、1週間外部との連絡を絶った博士の部屋に入ろうとした。その瞬間、中からウエディングドレスをまとい両手足を切断された死体が現れた。そして、部屋に残されたコンピュータのディスプレイに記されていたのは、「すべてがFになる」という意味不明な言葉だった。


<感想>

 ふたばの中で最高の(と勝手に思っている)ミステリィ。こんなものまで読もうという人たちは、当然知っているだろうが、「F」は実は4作目として書かれたものだ。それを出版社の意向で、急遽、第1作目として出版することになった。しかし、誰の意向であろうとこの判断は正しかったと、ふたばは思う。
 この作品では天才・真賀田四季が登場する。
 彼女と犀川・萌絵との出会いが実はこの作品のテーマで、しかもシリーズの根幹のテーマを成している。このシリーズのテーマは「萌絵の解放と犀川の喪失」だそうである。それは一言で言えば「成長」ということだろう。彼女との出会いにより二人の物語は始まる。そしてそれから二人は変わっていく。彼女との出会いを最初に描かないではシリーズとしての一貫性が弱くなるだろう。

 犀川にとって「F」は、初恋の物語だ。
 犀川は純粋であることを望んでいる。純粋な部分を守るために、犀川は多くの人格を作った。そしてその純粋な人格を保つために――混ざらないように、他の人格もそれぞれ独立・拮抗して存在させている。そのことが結果として、犀川の客観性と指向性を卓越させた。
 しかし、それも最近では薄れてきつつある。そして、そのことを肯定しつつある自分を嫌いになっている。純粋でなくなること、つまり大人になることが犀川には嫌なのだろう。他人とのコミュニケーションを嫌い、自分の好きなこと――学問に閉じこもる。学問への真摯さにより、彼は自分の中の純粋さを保とうとしている。それが四季博士に出会うことで、変わっていく。
 四季は犀川と近い(はるかに天才だが)。同じアーキテクチャを持っている。だから、犀川は彼女に惹かれた。おそらく、四季の中にある犀川と同じような純粋さに惹かれたんだろう。そして、それは犀川にとって「初恋」なのだろうと思う。
 四季との出会いが犀川を成長させた。萌絵を誘ってコーヒーを飲みに行き、彼の恩師、萌絵の父親の話をするのは、一過性のものかもしれないが彼の成長の現われだろう。以後、彼の中の純粋な部分は次第に薄らいでゆく。推理する時の、原始的な犀川も次第に登場しなくなる。しかし、彼はそれを受け入れ始める。それが成長――大人になるということだろう。

 萌絵にとって、「F」は解放の物語だ。
 萌絵は、おそらく、死へ強い関心がある。死は彼女の両親を不意に奪った理不尽なものだ。そして関心が憧憬に変わる。萌絵はそれから1年かけて死へ惹かれる自分を封印した。それ以後、萌絵は死への関心を別の人格で覆い、まるで別人のようになって生きてきた。事故のことも口にせずそれを意図的に排除した。
 それを四季によって解放された。紫色のワンピースがキーワードになってその時の感情の封印がとかれた。彼女の悲しみが、死への憧憬が、そして犀川への想いが一気にあふれ、彼女は泣いた。おそらく、両親の事故以来の涙なのだろう。孤独を知るものは泣かない。萌絵は泣くことで孤独でなくなった。両親が亡くなった時、そばに犀川がいてくれたことを思い出した。
 そして、そのことが彼女の精神を安定させる。両親の事故を直視することで萌絵は解放されたのだ。
 もちろんそれですべてが終わったわけではない。これ以後、萌絵は殺人事件にのめりこんでいく。萌絵にとってはパズルを解くようなものかもしれない。だが死への関心は、次第に彼女の中で再び大きくなっていく。それが、再び「彼女」と会うことで浮き彫りになる。

 四季にとって「F」は、干渉の物語だ。四季は自分の人生を他人に干渉されたいと望んだ。他人からの干渉の最大なもの、それは殺されることだ。
 四季は常に他人の人生に自由に干渉できる。すべてのものを予測し自由に操る能力、それは天才の証だ。自分の人生に他人が干渉すること、それが愛されることだと四季は言った。四季の人生に干渉できる者はいない。四季を自由に操れるのは、四季と同等か、それ以上の天才だけだ。だから、四季は事件の証拠を残した。誰かに気づいて欲しかったと四季は言った。それは誰かに愛されたかったということだろうか?
 四季はなぜ犀川や萌絵に関心を持ったのだろう。
 それは二人が自分に似ているからだろう。犀川の思考のロジックは四季と似ている。多数の人格により指向を多彩に、客観的にする。そしてその多数の人格が核の純粋な部分を守っている。
 萌絵の境遇は四季と似ている。二人とも、目の前で両親を失った。そしてそのことをしばらく忘れていた。萌絵は四季によって、そのことをはっきりと思い出す。四季は子供を産んだ時、そのことを思い出した。四季の中に、犀川の部分と萌絵の部分がある。四季はそれを貴重なものと思ったのだろう。「他人の中に自分を見る奇跡」これは別の森作品の言葉だ。そんな他人は、確かに自分より貴重かもしれない。
 それと、四季が関心を持った理由はもう一つある。それは二人が四季の予測を越えたことだ。四季にとってすべてを予測し自由に動かすのはあたり前のことだ。しかし、犀川は四季の予測のつかないことを言った。萌絵の発想は天才的に飛躍し四季の予測を越える。四季にとって、初めて自分の干渉を超える、天才的なものに出会ったのだ。萌絵が犀川と会って初めて自分より頭の良い人に会ったと言った時、四季は自分にはそのチャンスがなかったと言った。四季にとって、それは望んでも得られなかったものに違いない。四季は「私だけが、7なのよ……」と言った。7は孤独だ。他人から干渉されず、愛されない四季は孤独だった。だが、初めて彼女はその孤独を癒せるかもしれない存在と出会えた。それが犀川と萌絵だった。

 四季は、この事件を起こした理由を「自由へのイニシエーション」と言った。大人になるための通過儀礼。彼女にとって自由とは死によってもたらされる。他人に殺される、他人を殺す。14年前、彼女は両親を殺せなかった。そのことが彼女の中にわだかまっていたのかもしれない。14年後行われた殺人によって、彼女の止まった時間は動きはじめた。

 この物語は「成長」の物語だ。それは犀川にとってであり、萌絵にとってであり、そして、四季にとってのものである。

 

 ことり、とテーブルの上に置かれた記念品は、四角いプラスチックの黄色いブロック……、それは、立派なおもちゃの兵隊になることを夢見た小さな孤独だった。


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