★ネタバレ感想★
εに誓って
森博嗣
<あらすじ>
山吹早月と加部谷の乗っていた高速バスがジャックされた。犯人グループ、各地に爆弾を仕掛けたと声明を出す。バスの乗客名簿には≪εに誓って≫という謎の団体名が。犀川たちの周辺にちらつくギリシャ文字を関した謎の集団は?。――Gシリーズ第4段。
<感想>
バスジャックとは、活動的、緊迫感ありか!? ――と思ったけど、やはリ森センセイ、ただではやりません。こんな静かなバスジャックはかつてあったでしょうか(笑)。でも今回は前作『τ』より好きでした。なぜなら、物語がはっきりとしているから(笑)。前作は良く分からないまま事件が終わり、こうじゃないかと勝手に推理されただけで、いまいちすっきしないまま終わっていたから。平凡な性質のふたばには消化不良気味だったんだよね。もちろん今回もやはリわからないこと、Gシリーズ全編に現れる、ギリシャ文字の謎(謎があるかも分からないけど)、そしてあの女性がどう関わっているのかとは良く分からないまま(それがシリーズ最大の謎なのでしょうね。本当はGシリーズ全編でひとつの「事件」なんでしょう)。ただ、それとは別の事件があってそちらの方で大掛かりなトリック(?)もあって、それはきちんと解決される、みたいな構成だったので、平々凡々なふたばも満足。犀川センセイの出番は相変わらず短いけど、あの女性とのからみの話もあって、シリーズファンにとっては良い感じ。萌絵さんも加部谷さんが死んだと思われたとき、両親が目の前で事故死したトラウマが掘り起こされるんじゃないかと思いましたが、――良かったね(笑).
テーマは、生と死――でしょうか。εで自殺したいと思っていた人たちの理由って、「現実の生の実感の欠如」というのが、あるようです。その生の実感の欠如というのは、たぶん現実の少年の自殺の理由だし、あるいは少年による凶悪犯罪の理由に根底にもあることではないかと思いますが。
――その生の実感の欠如は、他人との関係が希薄だから感じられるのでしょうか。
人は、他人との関係で、自分を測るものです。人は、自分の姿を、直接、見つめることはできない。鏡や映像を使ってしか見つめることができない。太古はその両方なくて、水にでも自分の姿をに映したのでしょうけど、本質的に人は、ひとりでは、自分を実感することができないのだと思います。思考することはできる。でも実感はない。
他人と触れ合うことで、人ははじめて自分が生きていると感じられるのではないでしょうか。
作中の事件もεで自殺を止めたのは、他人の存在を実感し、自分の存在を実感した人たちだけ。
自分は一人じゃないと、特に感じたわけではない。他人を思いやったわけでもない。迷いながら、悩みながら、でも自分が触れた、他人の体温が、自分に生きたいと感じさせた。
人にはない、人間にしかないものが、きっとあるのでしょう。
悲しみや、痛み、迷い。
――生きていくことは苦しいけど、一緒に泣いていくれる誰かがいることで、人はなんとか生きていく。一緒に笑ってくれる誰かがいることで、なんとか死なないでいられる。
――なぜ生きていかなくてはいけないか分からないけど、分からないから考える。
生きて考えていく。
他人を見つめ、他人に触れて、他人を感じ、自らを感じながら。
――季節の名を持ち、人と人との間を巡る彼女は、どこかでそんな人間たちの姿を見つめ続けているのでしょう。無に帰ろうとしている人に価値はない。ただ生きているだけの人にも価値はない。その間でもがき苦しみながら生きている人間の、黎明や黄昏の輝きを、美しいと感じながら、
――彼女は、その美しさを自らの手で作り上げようしているようです。
だけど、死のうと考えることは、きっと自由なのだ。
それを考えられることは、人間の尊厳の一部。
考えても良い。
考えるべきなのだ。
そして、考えても死ななかったことに、価値があるのではないか。
結果として、死ななかったことに、価値があるのではないか。
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