★ネタバレ感想★
少年王
榎戸洋司
<あらすじ>
「他人になる装置」による危険な遊びが流行るその学園に、王国のエージェントである美琴が訪れたのは「陛下」とあだ名される少年を殺すため。その少年・龍玄と恋人である少女・花鈴と出会った美琴は、けれど二人と接するうちにいつしか二人に心を奪われていく。
<感想>
少年が少年であることをやめて王となる物語。しかしなぜ王子様ではなくて王なのだろう?
王子様になるとはどういうことか?
たいてい少年は若く格好良い王子様を目指す。それが理想的な自分の姿だと信じて。しかしおとぎ話における王子様とは女の子を苦境から救い出してお姫様にする為に存在している。王子様は少年たち自身ではなくて女の子の望む理想的な男の子の価値観なのだ。それがいつのまにかに少年たちが望んでいたものに摩り替わっている。少年たちはその価値観に従属させられているのだ。
『少年王』の中でそれをあからさまに具現する装置が「他人になる装置」である。理想的な自分になれるこの機械は実は王子様を作る装置なのである(女の子の場合はお姫様だが)。王子様お姫様となった少年少女たちはまるでおとぎ話のような甘く幼い恋に身を委ねる。そして自分自身を忘れる。他人になるということは自分ではなくなるということだ。自分を無くした者はその価値観に従属して生きるほかない。――いやそもそも従属していることすら気が付かない。それが「他人になる装置」の意味。自己を放棄させて世界の一部する装置なのだ。――王子様がどんなに格好良かろうが所詮は王の子供、王国に従属する身分でしかないことに、夢見る少年少女たちは気がつかない。支配されていることに気がつかなければ支配から脱せないのだ。
王子様になるとは、自らを封印して世界に従属して生きるということなのである。
では王になるというのはどう言うことか?
王と王子様の最大の違いは、王は自分の王国を持っているということである。だから王は王国に従属する立場ではない。王が王国を支配するのである。
『少年王』において王であることの象徴である銃アンドレイア。絶大な力を与えてくれるが、それを放つ時は耐えがたい苦痛があるという。それは王の持つ権力とそれに伴う義務と苦難を意味している。王の象徴が銃の形であることは意味深い。物語において銃とは男性器のメタファ――つまり男の象徴である。雄雄しく男性器をたてた一人前の男こそが王だというのだろう。さらに銃は武器であり革命のシンボルでもある。
アンドレイアを所持できるのは「自分」を持つものだけである。龍玄がアンドレイアを手に入れたのは初めて自分の意思で人を殺そうと思ったときだし美琴も同じ。――美琴のアンドレイアが彼の王国への従属の証である変禽を切り裂いて取り出されることが象徴的だ。何かに従属して生きるものは王子様にはなれても王にはなれないのだ。強い意思を持って自ら選ぶことができて初めて王になれるのである。
「他人になる装置」がメリーゴーランドであることにも意味がある。メリーゴーランドは動いているようで実は同じところを回っているだけだ。それは乗っている者ではなく外にたつ者にしかわからない。王国に従属する王子様たちは王国の庇護のもと愛するお姫様と幸せに暮らしている。メリーゴーランドを楽しむあまり視線は外へは向かない。王だけが外を見ている。外に世界があることを知っている。メリーゴーランドの外に存在できる。
現実を知り、自分を知り、自ら選ぶ、それが王だ。
王になるとは自分になるということである。
だから王子ではなくて王なのだ。王子を目指すことは成長を拒絶するモラトリアム的な志向でしかない。王を目指すことは、自分を支配するもの打ち破り、己を自分の主とすること――前へと進むことだ。それには辛く思い義務が付きまとうかもしれない。しかし背負ってこそ生まれるものもある。
――自分であるということ。――それが「成長」である
「アンドレイアが選ぶから王なんじゃない、
アンドレイアを選ぶから王なんだ。アンドレイアを選ぶというのは、その生き方を選ぶことさ。王たる生き方を選んだ時、その銃は現れる」――龍玄
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