★ネタバレ感想★


記憶の果て
The End of Memory

浦賀和宏


<あらすじ>

 父親の突然の自殺。息子・安藤直樹が父親の部屋で見つけたものはコンピュータの中に宿る小女・裕子だった。彼女は実在するのか、ただのプログラムなのか、それとも機械に宿った人間の意思?――第5回メフィスト賞受賞作。


<感想>

 読み始めたときは、「どうしよう?」というくらい文章に青臭さを感じたんですが、メインストリームが見えた中盤くらいから俄然面白さを増してきました。これはミステリィかもしれないけどSFだし、青春小説。そのはざまにあると京極氏や森先生が書かれていましたけどその通りだと思います。

 ――機械に宿る意思。その機械に恋する青年。果たして人を人足らしめる意思とはどこにあるのか?意思とは何なのか?――直樹の持つ苦悩って、大小の差はあれ、同じ年頃の青年が誰でも持つ苦悩だと思う。ふたばもこの頃よくそんなことを考えて、夜眠れなくなったりしたから分かりますが、結論は出ません。もっとも、主人公の安藤直樹は出生に本当に重大な秘密があって、一般的な若者が思い悩む漠然とした不安どころではないんだけど。そういう誰もが持っているような青臭さを描くのって、ふたばは嫌いじゃありません。ふたばと直樹は全然違う性格ですけど、その共通する苦悩を抱えている(いた)という点で共感して、感情移入できて読めましたね。すごく面白い作品だったと思います。――それとこの作品の持つ淫靡さも嫌いじゃないです(笑)。近親相姦などのタブー的な関係とか、青春の持つ淫靡さとか嫌いじゃない。というか好き(笑)。この作品の持つ魅力ってむしろここにあるんじゃないかと思うくらい。――機械に宿る少女とかそれに恋する青年とか、すごくHじゃないですか?(笑)。

 テーマは自己確立――あるいは青春の咆哮。「コンピュータに宿る意識」という謎を追い求めていたのに、いつのまにか主人公・安藤直樹自身のアイデンティテイの探求と再確認というテーマが現れる。読者もSFチックで魅力的な謎の解明を求めて読み進めていたのに、いつしか直樹と自分を重ね自分自身のアイデンティティの問題を突きつけられているわけです。きっと「コンピュータに宿る意思」とは無機物に置きかえられてはいるけど、他のもののに宿る自分以外の意思――つまり他人のことで、他人と自分との関わりをはじめから追い求めていたわけですね。――追い求めていた「コンピュータ=裕子」の正体が、実は自分自身だったというのが皮肉的。姉であり、母親であり、自分自身である――裕子。はじめて異性を意識させる存在であり、絶対の庇護者である。そしてなにより決して自分を傷つけない存在――自分自身であること。――まさに理想の恋人でしょうね(笑)。

 ――で、読んでいてつい思い出したのが、アニメの『エヴァンゲリオン』でした。テーマや細部のデテールに重なる部分を感じます。確か同じころの作品だったと思います。『エヴァ』も結局は青春の言葉にはならない叫びを描いた作品だったし、他者と自分との距離がテーマでした。『記憶の果て』が本当に『エヴァ』からインスパイアされた作品かどうかわかりませんけど、作者がこれを書いたのは19歳だというし、きっと時代が、そして世代がそういう気分だったのでしょう。「乗り越えられない青春」という言葉で誰かが『エヴァ』を表現していましたが、『記憶の果て』もそうだと思います。――別に自己を確立する必要ないじゃん。それで生きて行けるなら、逃げてもいいじゃん?――てね。きっと後悔するに決まってる。でも、それを自分自身で選んだのなら、少しだけ前へ進んでいる。――それはきっと価値のあることでしょう。

 

彼女はゆっくりと顔を上げた。
その顔は――とても悲しそうだった。
俺はそんな彼女を見つめ――静かに微笑んだ。
すると彼女も、悲しい顔が嘘のように、俺に微笑み返してきた。
とても優しく――幸福そうに。
俺はそんな彼女を見ると、まるで――。
気が狂いそうな、そんな気持ちになる。


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