★ネタバレ感想★


月は幽咽のデバイス
The Sound Walks When the Moon Talks

森博嗣

 


 <あらすじ>

 オオカミ男が住んでいると噂される「薔薇屋敷」とも「月夜邸」ともいわれる奇妙な屋敷内のオーディオルームの中で血まみれの女性の死体が発見される。何かに引きまわされたように見える床中の血の擦った跡や死体の噛み跡。これは伝説のオオカミ男がやったことなのか?!


<感想>

 Vシリーズ第3作。シンプル・シャープ・スパイシーとはこの事という作品。非常にシンプルなストーリー。トリックも単純。というかトリックは無い。トリックがあると思わせるのがトリックという。こういうのを反トリックというのだろうか?とにかくそこに面白みはない。謎が解けた時の衝撃もほとんどなかった。でも、面白いと思う。夢中で読んでいた。何故だろう?面白いと思ったのは、人同士の遣り取り――会話だ。魅力的なキャラたちの会話の遣り取りは、それだけで読む価値がある。特に紅子さんと七夏さん、紅子さんと保呂草さんと、紅子さんがらみの会話が何より面白い。前者は紅子さんには感情的人間的(に見える)なぶつかり合いが見られるし、後者はまるでゲームように言葉には出さない隠された部分での駆け引きがとてもスリリング。
 それとVシリーズは、あえて明かさない部分があるのが特徴だと思う。すべてを明らかにしないで考える余地を残す。わからない部分を残す。不思議を残す。数式が解けた時の解放的な喜びは薄いが、それによって、未知のものに触れたときに受ける不安と期待感が不思議な余韻を残してくれる。――タネが解れば手品、解らなければ魔法、と言うことだろうか?

 人はすべての現象に意図を見出そうとする。なぜだろう?それは分からないと恐ろしいからだ。オオカミ男はもちろん恐い。しかし「恐い」と思うのは、実はオオカミ男に対してではなく、オオカミ男によってもたらされる生命の危機、「死」への恐ろしさなのである。そして、死が恐ろしいと思うのは、誰も「死」について知らないからだ。人間の想像力が、未知のものに対して暴走し、死への恐怖を助長するのである。闇が恐い。忍び寄る気配が恐い。ホラー映画の恐ろしさはそこにある。見えないモノや分からないモノから人の想像力が生み出すものは、形の無い「恐怖」そのもの。姿を現した殺人鬼や怪物は、むしろ滑稽ですらある。もしそれに恐怖を感じるとしたら、それはやはり、知らない「死」への恐怖のためだろう。
 理由を、意図を、そこに見出したとき、人は安心する。否、むしろ安心したいために、理由を見出そうとする。――理由が無いものにまで。
 月を模したパラボラアンテナが音を集積して、姿が見えないくらい遠くの人の声を聞かせてくれると知ると、人は「なんだ」と安心する。そして「そんなことか」とガッカリする。理由をつけることで、人は恐怖を消す。そしてそれが「世の中の不思議」を、また1つ減らしていくことになる。

 本当は、月が話しているのかもしれないのに。
 オオカミ男は本当にいるかもしれないのに。

 しかし「理由」というキーワードが、魔法を解き放ち、世の不思議は消えていく。

 残る不思議は、
 人の心のみ。

 人の心だけが、いつまでたっても理由がつかない。理由をつけても、つけても、不安は消えない。人の心は常に変化する。理由をつけた途端に別のものになっている。だから恐い。だから不安なのだ。エトスとパトスの間に浮いている感情だってあるのだ。それは言葉には出来ない。言葉にするには微妙で複雑過ぎる人間の心のカオス。

 その最たるものが、「瀬在丸紅子」という存在――。彼女の中にある嵐のようなカオス。それを見つめるのは恐い。恐ろしい。でも――、
どこかワクワクもする、この世に残された最後のふしぎ。

 

「きっと、キスなんかじゃ、私、起きませんから」

――瀬在丸紅子


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