★ネタバレ感想★


封印再度
WHO INSIDE

森博嗣


<あらすじ>

 50年前・仏画師・香山風采は息子の林水に香山家の家宝「天地の」と「無我の匣」を託して密室の中で謎の死を遂げた。そして現在、父の仕事を継いだ林水までもが父親と同様に謎の死を遂げる。現場と目される林水の仕事部屋には壷と箱が残されていた。S&Mシリーズ第5弾。


<感想>

 S&Mシリーズ第5弾。再々読。一番の話題はやはり「血の病」かな(笑)。賛否両論あったようですが――これで萌絵さんが大嫌いになったという人もいた――ふたばが最初に読んだ時はそんなこと思いもしなかったです。それよりも最終回が萌絵さんの死で終わるんじゃないかとドキドキしていたんで、それがウソだとわかってすごくホッとした覚えがあります。実際にやられたらきっと犀川センセイのように頭にきたでしょうけど。

 気圧を使った密室とか子供の感覚とか色々ミステリイな所はありますが、一番のミステリイは「天地の瓢」と「無我の匣」のくだりでしょう。萌絵さんが述懐しているように最後に残ったその謎が事件のキーだったし一番興味深かった。初めて読んだ時、震えました。これが分かった人なんてまずいないだろうし、もしかしたらミステリィとしてはフェアでないかもしれませんが、でもそんなの関係なかった。発想自体が素晴らしい、ずば抜けていました。壷の中の取れない鍵。ならば溶かして出せば良いという発想。犀川センセイは溶かすまでは誰にでも分かると言ってますけど全然気が付かなかったです(笑)。むしろ溶かすといわれて鋳型が匣の中ににあるんだとはすぐに気が付いたんですが。再読してみると結構ヒントを出しているのが分かります。たとえば事故にあった香山マリモが目覚める前に見た夢の部分とか。ここなんか事件の真相そのものをズバリ書いてあったりします。まあ一度読んだだけで気がつく人はいないでしょうが。

 それにこの壷と匣の謎は実は作品自体のコアだとも思います。壷の中の鍵が象徴するのは匣を開けようとする「意志」。鍵をつかって匣を開けようと思っているうちは決して匣は空かない。その意志を消す――鍵を溶かすことで初めて匣が開かれるわけです。そうすると壷と匣に「天地」「無我」と名付けられているところにも、意味を見出したくなりますね。「天地」というのは「世界」でしょうか。「無我」とはそのまま「我を無くす」。「世界に我を無くす」。何か宗教的な真理を示す言葉みたいですね。しかしその意志を持ちつづけているうちは無我には至らない。その意志を消す。そうする事で初めて匣は開かれる。我を捨てることで初めて真理に至る――そんな感じでしょうか。でも――そうして開かれた匣の中には一本のナイフがあるわけです。

 なぜ無我の境地のはてにナイフがあるんでしょう?
死ぬことでしか無我の境地には至れないというならそんな教えは単純すぎるし。築き上げたものを潔く捨て去ることができるかということの象徴がすべてを無に返す――生命を奪うナイフなのかな?執着を消す行為。英訳されてサブタイトルになっている十牛図の最後、Wandering in the World――入テン垂手の部分。「さがし、みつけ、とらえ、みとめ、ならし、つれかえる、ものはきえて、われもきえて、いたり、さまよう」の「さまよう」の部分。完成した物をあえて壊すこと。見つけた物をあえて棄てること。それが日本人の美意識なんです。こじつけるなら不完全というのは成長する余地があるということで、その見えない成長部分を想像させることすらも作品に含まれる。だからこそ完全なものよりも深い美を感じるのかもしれません。不完全の中に完全を見出す為にあえてそれをする。それが香山フミのいう「ひと欠け」なのかも知れません。完成する為にあえて欠けさせる。あるいは完成したものを消すために欠くか――。それはきっと無我の境地――悟りが目的ではないという教えなんでしょう。悟ることすら道中できっと生きること自体が目的。でも、ならばなぜ香山風采と林水は死ぬ必要があったんでしょうか?
 ――単に死ぬことに取りつかれていただけなのかな?それが美しい感じていただけかも。本来、物を作る行為とは己の意志を込めることだと思いますが、彼らはそれを望まず、ひたすら仏画を正確に写し取るだけの模写を選んだ。それが彼らの「美」だったんです。ひたすら模写することで己を消していく美しさ。それは彼らの生き方にまで普遍されて死ぬことが美しいと感じるような精神になった(どうでも良いが犀川センセイが突然『ツインピークス』を持ち出すのは「死の美」の連想からか)。林水は父親の生き様を模写したのかもしれないけど。真理を得て、潔く散ることの美しさに惹かれただけなのかも。わずかな時間咲き誇り瞬く間に散っていく桜のように。それが彼らのーー彼らの愛した日本の美だったから。
 ――己を殺すことで生きる。生きるために己を殺す。この逆説的な美。不完全な中に完全を見る。「いたり、さまよう」事で完成する――そんな美しさ。――分かりますか?――正直分かりません。いや何となく分かるんだけど、やはり分からない。ふたばは意志こそ人間の特質だと思いますから。人は作られた物や人の行為自体に対して感情を持つのではなく、それに込められた人間の意志にこそ美しいとか恐いとかを感じるのだとすら感じています。だから無我の美という感覚があるということは分かるけど、やはり実感がないから納得しがたい。己のない所には何も生まれない気がします。己を消したその底にはたしかに純粋な美があるかもしれないけど、それは美しいけどただの石ころだと思うんです。宝石を美しいと感じるのは人間の意志。たぶん死ぬことを美しいと思うのも人間の意志です。だから十牛図は、ものも自分も消えて至った後にまた「さまよう」と――生きつづけろと教えているんだと思う。
 ナイフが意味しているものってもしかしたら死ぬことの誘惑に耐えれるか――生き続け迷いつづけることができるのかそれを試しているのかもしれませんね。
 でも意志を表現する為にあえて意志を消す――そんな表現があるのかも知れないとだけは思いました。

 テーマは禅だそうで、良く分かりませんが、禅問答というくらいだから、答えの出ないことをあえて考える――あるいは答えを見つけてもそれを捨てる――つまり「考えることこそ目的」ということだと思います。な本来は悟れぬこと、分からないことへのアプローチ法――それが禅だと。なぜ開かれた無我の匣の中にはナイフがあったのか?どうして自殺する必要があるのか?そもそも本当に自殺だったのか?(自殺だとしたら何故仕事場を出ていったのか?犀川センセイが言った通り捨てきれなかったから?)。――ふたばには分かりません。犀川センセイが最後で色々言ってますが、でも犀川センセイ本人も完全には信じてないように、ふたばも信じられない――。上で色々書いてますが何だか混乱した文章だし、書きながら考えていたから書いたことを実は心底は信じていません。何となくそんな気がするけど、納得しがたいといった感じ。一瞬は納得しても次の瞬間には否定してしまう。――きっと言葉には出来ない感情があるんでしょうね。理屈ではない想いが。犀川センセイが答えたくないと言ったように、それはあえて答えを出す必要がないことなのかも知れません。そう――たとえば犀川センセイと萌絵さんの関係もね。

 

たぶん、西之園君……、きみが正しい
(中略)だけどね……、正しいことに潔くなれないときってのがあるんだね……。
正しいって、何かな?
僕は、今晩それを見たんだ

――犀川創平


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