★ネタバレ感想★


奥様はネットワーカ
Wife at Network

森博嗣


<あらすじ>

 大学の工学部で起こる連続撲殺事件。登場する6人の視点で事件を追う詩的なミステリィ。


<感想>

 要するにスージィストーカーなのだけど、どこか彼女に素敵なイメージがあったのは、あきらかにコジマケン氏のイラストのせいでしょうね(笑)。――つまらない自分を脱ぎ捨て、精神は自在に飛翔して、大好きな人の妻の立場へとダイブする。なんていじましい――と思うのはコジマ氏の描くスージィがあまりにもチャーミングだから(笑)。

 6人の登場人物の視点を行き来するという構成が、リンクにリンクを辿ってあっちこっちへ飛ぶネットワーク的だと思いました。そのネットワーク的な構成がこの作品をミステリィとして成立させているんだけど、さらにこの作品のもつ独特の雰囲気――ふわふわ定まらないぐるぐる目が回るどこかあやふやであいまいな作品世界を作り上げる大きな要素となっていると思います。――個人的に、読んでいる間に抱えていたのは、登場人物たちが泡に包まれてぷかぷか浮いているといったイメージ。その泡が個人個人の世界で、ボクらはその泡の中をちょっと覗いては次へと移っていくといったような感じ。人の世界ってそんなものかなって思っていました。
 ポエティカルな部分は大抵、スージーの分裂具合をあらわしているようですね。ポエティカルなので、それを分かりにくくしています。現実の自分とネットワーク上の自分。ただのアルバイトと憧れの人の妻。「月」は人の心の暗喩。光と闇の満ち欠け、人の心の光と闇、理性と欲望の満ち欠けを示している気がします。人は時に、欲望が満ち理性が欠ける。逆に理性が満ち欲望が欠ける。――それをひとはきっと繰り替している。

 精神と肉体の関係について考えさせられる作品でした。肉体不自由精神自由。不自由な肉体を脱ぎ捨てて、精神は自由に飛びまわる――誰だって今の自分にこれは本来の自分ではない、もっとあるべき自分があるのでは?と思う。でも本当は、その肉体の不自由さが精神を形作っている。精神が肉体より飛翔できても実はひもつき。どんなの遠くまでこれても、ひもは肉体に繋がれていて、いずれは肉体へと帰る。身体が壊れれば形のない精神は形を保てず、どんな形にでもなれるどころか、飛散して消えてしまう。人は他の誰にもなれない。自分という形に縛られているからこそ、他人の形を真似ることが出来る。――空に浮かぶ泡の世界と同じ。泡をはじければ広い空間へ飛びだして自由になれる――わけではなくて、下に落ちるのである。

 なんとなく、根拠なく、理由なく、カーテンコールを読んで、スージィはルナ自身ではないかと思った。彼女は自分自身を殺そうとしていたのではないかと。いや、それどころかサエグサもイエダもホリもサトルも全部同一なのではないかと思ってしまった。――ネットワーク上で、一人チャット。一人6役。「誰が私を殺したの?」「それは私」。――もちろん根拠はないけど。
 でもでも少なくともスージィにとってルナは憎むべき存在であると同時に、同一化すべき存在。――だから殺せなかったのでは?自分の立場を奪っているルナを殺したかった、自分自身であるルナの肉体を壊したかった、精神を自由に飛ばしたかった、――でも自分の肉体を壊せば自分の精神も消えることを、きっと肉体の方が知っていたのでしょうね。

 

 理由を探していたけれど、理由はなかった。でもでも、最初からそんな気はしたんだ。そう、これはもう生まれたときから、ずっと感じていたこと。ここにいちゃいけない。このままいては駄目。そういうのって、ない?あるよね、誰でも。これは私の生き方じゃない。私の友達じゃない。私の人生じゃないって。そう、
これは、私じゃないって、思うときあるよね?

――スージィ


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