青少年交換は、在学中の高校生を他のロータリー地区へ派遣し、また他の地区からの高校生をホームステイで受け入れ、感受性の豊かな時期に異国での学校生活を体験させるプログラムです。交換の相手先は国際ロータリー及び当第2660地区の青少年交換委員会で決定され、スポンサーとなるロータリークラブは、カウンセラーを用意してお世話にあたります。当クラブは設立まもないころより、このプログラムに積極的に参加しています。
Tara Lee McCalan (タラ・マッカラン)
1973. 8. 8生
Horby, Ontario, Canada
1989. 8. --1990. 7.
在学高校・大阪府立清水谷高校
ホストファミリー 須田潤市朗、(斉藤純一)、音在秀信
カウンセラー 佐藤俊一
(左タラ・マッカラン、右須田夫人)
Julie Ruth Jaskilka (ジュリー・ジャスキルカ)
1976. 5. 21 生
Tigard, Oregon U.S.A.
1992. 8.--1993. 7.
在学高校・大阪府立旭高校
ホストファミリー 佐藤俊一、 谷 紀明、 阿部成之助
カウンセラー (早川四郎)
和服を着せてもらったジュリーと背少年交換関係者
Elise Marie Owen (エリス・オーエン)
1978. 8. 5生
Vancouver, Washington U.S.A.
1994. 8.--1995. 7.
在学高校・大阪市立扇町高校
ホストファミリー 穐山司郎、 武市敏一、 音在秀信
カウンセラー 須田潤市朗
サブカウンセラー 岡 豊
Angela Dawn Gollan (アンジェラ・ゴラン)
1979.2.3生
Wonder lake, Illinois, U.S.A
1996.8-1997.7
在学高校 大阪市立扇町高校
ホストファミリー 光山恵治、川 忠、武市智寿
カウンセラー (岡豊)、須田潤市朗
アンジェラと最初のホスト、光山夫妻
Jeffrey Magliola (ジェフリー・マグリオラ)
1978.10,18.生
Columbia, Missouri,U.S.A.
1997.8-1998.8
在学高校 大阪市立扇町高校
ホストファミリー 佐藤 俊一、阿部成之助、須田潤市朗
カウンセラー 田中信明
日本を再訪したジェフとその両親
Joe Daniel (ジョー・ダニエル)
1983.11.25.生
Naples Florida, U.S.A.
1999.8-2000.7
在学高校 大阪市立扇町高校
ホストファミリー 武市智寿、菊井康夫 織田治久
カウンセラー 矢尾和彦
ジョーと日本側青少年交換留学生 (後列左から、織田、菊井、武市の諸君)
Yves Denis (イブ・ドニ)
1982.7.23 生
Cornwall Ontario Canada
在学高校 大阪市立扇町高校
ホストファミリー 織田治久、菊井康夫、武市智寿
カウンセラー 佐藤 俊一
Olivier Demeulemeester (オリビエ・デムレムスタル)
1983.4.21生
出身 ベルギー ハッシオ
期間 2001.8-2002.7
在学高校 大阪市立扇町高等学校
カウンセラー 佐藤会員
Thomas Thompson(トマ・トンプソン)
1986.3.17生
出身 フランス グランコート
期間 2002.8-2003.7
在学高校 大阪市立扇町高等学校
カウンセラー 佐藤会員
タラ・マッカランの思い出 (須田順市朗、ホスト家庭)
タラは我がクラブにとっても我が家にとっても最初の交換留学生でした。来日前に送ってくれた写 真を片手に新大阪駅まで迎えに行ったのがつい最近 のように思われますが、あれから11年の年月が流れました。我が家には娘がおらず、 息子一人の家庭にとってどのように扱って良いか戸惑ったのが本当のところでした。 しかし案ずるより生むが易しと言う通り、同い年の息子とすぐ意気投合し(言葉はお互いわからぬ が)仲良しになってくれたのには安心しました。
清水谷高校に通うことになり英語担当の教頭先生が責任者となり面倒を見ていただくことになったのですが、カナダの高校とはかなり違い、制服を着るのは嫌だとか、どうしてイヤリングは駄 目なのかとか、なぜ化粧して駄目なのかとか言って困らせました。また体操服を着ての体操の授業は決して受けませんでした。しかし美人でグラマーな彼女はタラちゃんタラちゃんと呼ばれ人気者でした。来日当時は太っているのでダイエットしていましたが、日本食(特に焼き鳥、お好み焼き)と日本のケーキのおいしさに負け、帰る時はかなり太ってしまいました。
帰国してからは、いつ調べたのか私を含め家族全員の誕生日にカードを贈ってくれたのには感激しました。
帰国する時息子に抱きつき「コウシローが結婚するとき必ず招待してね」と泣きながらサヨナラを言ったのが忘れられない思い出です。 帰国後3年ほどしたある日突然友人を連れて我が家に現われたのにはびっくりさせられました。
タラ・マッカランとエリス・オーエンのホストをして(音在秀信)
タラは鶴見ロータリークラブに来た、最初の交換留学生である。 当時、ホームステイ家族への情報も少なく、不安な面 もあり、担当三家族が、緊密な 連携を取り合った事が思い出される。清水谷高校へ通 学したが、当初英語以外の授業は全く理解出来ず、悩んでいた。 幸い担任の英語の先生のご理解のお陰で、一年無事終わった様である。
娘二人が、同じ様な年齢であったせいか、直ぐに家族に溶け込み、あっという間に 過ぎた。(4月ー8月帰国迄)
若いけれども、世界の出来事にも目を向け、生活観もきっちりと身につけている事に 驚いた。 又度々招待されるロータリアンの酒席には、戸惑いを感じていた。この点は未成年である事を考慮し、今後反省されるべきである。家族とは、後にカナダ訪問時、 再会を果たしている。
数年後、急にエリス・オーエン(アメリカ)のホームステイを、引き受ける事になっ た。この時は高校も、扇町高校に変わっていた。持前の明るさと、積極的な行動は、タラと又違っていた。多くの級友の訪問を 受けた事も記憶に新しい。 両名のホームステイにより、国の違い、考え方の相違、又ロータリアンとしての責任、 奉仕の限度等いろいろ貴重な経験をした。何れにしてもある程度の個性が確立し、 国際感覚も身につけているのには、敬服にあたいする。 今日も続いている交換留学生の皆様が、将来日本と世界の国々との国際交流の 掛け橋となって頂ける事を望みたい。
「異星人ジュリー」(第一ホストファミリー 佐藤俊一)
私の娘がアメリカ、オレゴン州ポートランドに留学した交換にジュリーという名の娘が我が家に最初のホームステイをした。彼女はフランクで感情豊かである一方、独善的で自己主張が強く、それが日本の管理的高校生活にうまく溶け込む事ができず、カウンセラーの早川さんや担当の先生は苦労された事と思う。
牧師の娘だけあって、日曜ごとの礼拝と聖書に忠実なのはいいのだが、進化論を信じず、お寺へは「悪魔の住むところ」といって決して入らない。一方、お正月に着物を着せた時は、喜んで神社に初詣に行くのはどういうことなのか?奈良へ連れていったら鹿を見て「おいしそう」とジョークをいうのは、彼女のお父さんがライフル持って狩りに行くからなのか? ボーイフレンドから手紙がくると大喜びし、お父さんがなにかのトラブルで教会を出なければならなくなった時は悲嘆にくれ、また、ビデオで「ベン ハー」をみながら興奮のあまり「キル!キル!」と口走ったり、気に入らない事があったら小生をたたいたり(勿論たたき返したが)、とにかく、文化の違う日本の生活と実家の問題とが重なり、17歳の乙女にとっては気持ちが揺れにゆれた日々であったろう。
その心のよりどころとして聖書に没頭していた事は分からないでもない。幸い彼女はルックスもよく、モラリストであったので皆から親切にされ、一年間の日本での異文化体験は本人にとっても意義深いものであったであろう。 最後には、空港での大勢の見送りの人たちと一人一人別れの抱擁をしながら泣く泣く名残を惜しみながら去っていった。その後、高校卒業時の写 真と優しい文面にあふれた手紙が送られてきた。それ以来、ジュリー一家の行方は彼女の親友ですら知らない。今思うと、まるで異星からきた娘だったような気がする。
Elise Owenの思い出 (須田順市朗、カウンセラー)
エリスのカウンセラーになったのは国際奉仕委員長であったのと、前年度の委員長の浮舟さんの下で副委員長をやっており、その時受け入れ高校がなかなか見つからず二人で扇町高校に何度も足を運び、やっと許可を頂いたと思ったらぎりぎりになり来日学生が変わりエリスとなったり、又ホストファミリーの選考にも関わっていたので指名された様です。
直前の交換留学生であったジュリー・ジャスキルカが日本語を話そうとはせずに一般 の生徒と全然交わらず、学校を困らせお陰でその旭高校に受け入れを拒否された苦い 経験があったので、エリスには関西学友会日本語学校にお願いして本コースに入れてもらい12月までは日本語学校の授業を徹底させたため抜群に日本語が上達して、帰国する頃は完璧な日本語を話し、漢字もそこそこ書けるようになっていました。
しかし扇町高校では中途半端な出席だったためと日本人特有のいじめにあい悩んで苦労していました。またもう退会されましたが最初のホストファミリーとうまく行かず、何度も相談を受けました。しかし彼女は4月からは変な色のついていない新入生のクラスに自分から入る決心をして新しい友達を作るのに努力をし、学校の行事にも積極的に参加し、日本の古い文化に興味を示し貪欲に勉強する姿勢には本当に頭が下がりました。
アメリカに帰ってお金を貯め、必ず日本に戻って来ると言ってましたが夢かなわず、結婚したと言う電話があったのが3年ほど前のことです。
ジェフ・マグリオラ君トラブル記(田中信明、カウンセラー)
トラブル1 1997年8月19日午前3時、真夜中の関空ロビーに私と佐藤真理子さんはジェフを迎えるため待っていた。タイ航空775便の到着をインフォメーションで知って待つこと1時間、ジェフはまだ現れない。出て来た人に聞くともう誰も残っていないと云う。何かあったのか心配で何度も係の人に聞いても誰も残っていないと云われて、あきらめて帰ろうとした時、1人の青年が出て来た。ジェフであった。理由を聞くと手荷物が届いていないと云う。間違って他の便に積まれたらしい。明るくなった空を見上げてとにかくホストファミリーの佐藤氏宅に向かった。手荷物は後日転送されてジェフの手元に届いた。
トラブル2 8月20日住民登録、21日日本語学校入学手続を済ませ、24日月華殿に於いてオリエンテーションが行われ、帰ろうとするとジェフがサイフがないと云いだした。佐藤氏もあわてて心当たりに電話をして探してもらったが見つからない。もう一度リュックサックをよく探させるとサイフが出てきた。本当に人さわがせな男である。
トラブル3 例会出席のためジェフを日本語学校まで迎えに行くことになっていた。フランスからの留学生ローリーを扇町でピックアップし、その後ジェフをピックアップする約束をして約1ヶ月が過ぎた例会日、その日はことのほか仕事が忙しく、その約束をすっかり忘れてしまって太閤園に行くと、ローリーがジェフは?と聞くのではっとして約束を思い出し、あわてて車で学校へ迎えに行って事務局の人にジェフの事を聞くと、しばらく待っていたがもう出かけたと云う。又例会場にひき返してみるとジェフが来ていたので安心だったが、本当に済まない事をしたと心より謝った。その後は1人で例会場に来てもらうことにした。
他に小さなトラブルを各ホストファミリーで起こしたに違いないと思うが、佐藤さん、阿部さん、須田さん本当にありがとうございました。しかし、いつもほがらかでなんとなくにくめない男だと思って1年間カウンセラーを努めさせて頂いた。帰国後こちらから写 真をたくさん送ったが、一報の便りもなかった事が残念でならない。
斉藤明美
(斉藤純一元会員のお嬢さん)
1972. 5. 17 生
行き先・カナダ オンタリオ州 オークビル
1989年8 月より1 年間
日本での在籍高校 神戸女学院高等部
フェアウエルパーティでホスト家庭その他のみなさんと
佐藤 真理子
(佐藤俊一会員のお嬢さん)
1975. 4. 12 生
行き先・アメリカ合衆国 オレゴン州 ポートランド
1992年3 月より1 年間
日本での在籍高校 帝国女子大学大和田高等学校
佐藤真理子さんとホスト家庭
穐山 玲
(穐山司郎元会員のお嬢さん)
1977. 10. 4 生
行き先・アメリカ合衆国 ワシントン州 バンクーバー
1994年3月より1 年間
日本での在籍高校 大阪市立扇町高校
光山 剛
(光山会員のご子息)
1980.1.28生
行き先・アメリカ合衆国イリノイ州ロックポート
1996年8月より一年間
日本での在籍高校、大阪府立箕面東高校
米光智子
1980.8.1. 生
行き先、アメリカ合衆国ミズリー州セントルイス
1997年8月より一年間
日本での在籍高校 大阪市立扇町高校
高校卒業式での米光さんとホスト家庭
武市尚大
(武市会員のご子息)
1982.8.23生
留学先 カナダ オンタリオ州 コリングウッド
コリングウッド カレッジ
期間 1999.8-2000.7
日本での在籍高校 大商学園高校
菊井若菜
(菊井会員のお嬢さん)
1982.7.21生
行き先、アメリカ合衆国ミズリー州
2000年8月より一年間
日本での在籍高校 四天王寺高校
織田久仁穂
(織田会員のお嬢さん)
1983.5.31年
行き先、カナダオンタリオ州
2000年8月より一年間
日本での在籍高校 甲南女子高校
武市真依
(武市会員のお嬢さん)
1984.1.28生
留学先 ベルギー クバン・シメイ
セント ジョセフ カレッジ
期間 2001.8-2002.7
日本での在籍高校 梅花高校
アメリカ留学(佐藤真理子さん)
1992年の3月から1年間、交換留学生としてアメリカのオレゴン州に行かせていただきました。幼い頃から、音楽やファッション等、アメリカに対しての憧れのあった私は、夢と希望を抱いて 日本を飛び立ちました。
空港に着くと,向こうのロータリアンの方々が「Welcome MARIKO!!」と書かれた派手な横断幕といくつもの風船を持って待っていただき、私を見つけ出すやいなや、熱い抱擁で私を出迎えてくれたことが最初に感じたアメリカ人のぬ くもりでした。
英語がほとんど話せなかった私を、毎晩のように勉強につきあってもらったり、ホームシックになってトイレで泣いていた私をいつまでも手をにぎって私に勇気づけてくれたりと、ホストファミリーの皆さんは私の心の大きな支えとなりました。自分の本当の子供のように愛情をもって一年間私を育ててくれたことに、大変感謝しています。
1年間、実際に自分で体験し、学んだ経験は、17歳の私をひと一倍大きな人間にさせてくれました。
9年たった今は、この留学の経験を生かし、日本に来ている留学生のカウンセラーをしています。日本という国をしらない人は世界にたくさんいます。だから日本に来ている留学生にすこしでも、日本のすばらしさ知ってもらって、国に帰ったときに家族や友達に日本の事を伝えてもらえれば良いと思います。
このすばらしいチャンスを与えていただいた、ロータリアンのみなさんに感謝するとともに今後ともこのプログラムが盛大になる事を望んでおります。
梶川明美(旧姓斉藤)さんの感想
私が鶴見ロータリrクラブから交換留学生として、カナダ、オンタリオ州へ行かせて頂いてから、かれこれ11年の月日が流れました。あの1年間は、遠い昔の思い出でありながら走馬灯のように思い出します。今でもはっきりとホストファミリーの顔を浮かべることが出来ます。しかし,思いだそうとすれば、懐かしさのあまり胸が締め付けられ涙がこぼれます。
私は4つのファミリーが与えられました。カナダという移民国の為、アメリカ、南アフリカ、イギリス、オランダをバックグラウンドに持つファミリーでした。どのホストファーザー、マザーも、私を実の子のように、心から愛し、時には叱り、私のことを見守ってくれました。ホストブラザー、シスターは自分たちの宿題をする時間や、遊ぶ時間をさいて、私に一生懸命英語を教えてくれました。
国籍が違っても、人種が違っても、親と子また兄弟姉妹間に生まれる愛の尊さを、痛感させられました。その時に知った「自分の何かを犠牲にしてもなお、他人に与える思いやり、優しさ、の重み」が今日の私を支えています。
今年の3月に、1つ違いの、京都のお医者さんと結婚し、私も1つのファミリーを持ちました。今まで私を見守り支えてくれた全ての人達に、恥ずかしくない生き方、家庭、etcに日々努力する毎日を舞鶴にて過ごしています。
最後になりましたが、またと経験することができない機会を与えて下さり大変お世話様になり、ありがとうございました。鶴見ロータリークラブの益々のご発展をお祈り申します。2000・12・吉日
青少年交換の思い出(米光智子さん)
アメリカから帰国して2年が過ぎ、今思い出すとあの頃の毎日がとても充実していたように思います。最初の頃私があんなに嫌がっていた学校も今となれば私にとって大切な思い出の一つです。そして、学校生活を無事に終え楽しむことができたのは、ホストファミリーのみなさんのおかげだと思います。
初めは英語が全く分からなくて、毎日先生から出される宿題に追われていて、そんな時でもホストペアレンツがいつも教えてくれました。私がテストでよい点数を取った時は、一緒になって喜んでくれました。私は彼らにとても感謝しています。彼らがいなければ、私はあんなに楽しむことが出来たか分かりません。
明日から私は、もう一度彼らに会いに行きます。帰国してから初めて会うので、今からわくわくしています。彼らに会うことができたのもロータリーのみなさんのおかげです。私は、この出会いと素晴らしいチャンスを私に与えて下さったことを心から感謝します。
一年間という長いようで短い期間で学んだこと(武市尚大くん)
ROTARY CLUBの皆さんありがとうございました。 一年間という長いようで短い期間に実に多くのことを学びました。 僕にとって、最大のメリットは語学勉強よりも人生勉強ができた事です。 これはこのROTAYの派遣プラグラムに参加した人であれば 誰もが考える事だと思います。
派遣プログラムは留学ではなくあくまでも国と国を結ぶ 親善大使であること、そしてそこから一体何を感じ取り何を学ぶかが一番大切だと 思います。 そのなかで僕は友達の重要さと自分の母国に対してどれだけの事を知っているかと 言う2点について、この派遣プログラムを通じて勉強できたと思います。
いままで簡単に友達を作ることができましたが友達のことを あまり深く考えることもありませんでした。カナダに行って友達の重要さを改めて感じました。友達、それは 私たちに笑顔と成功するために勇気を与えてくれます。 普段 このような話をするとばかにされそうですが僕は改めてそう思いました。
そしてなによりも日本に17年も住んでいながら日本について 何も知らなかったことにきずかされました。カナダで日本についての質問を 実に多く受けましたが、しかしそのたいはんは答える事ができませんでした。それは英語をうまく喋れない以上に何も知らなかったという事です。
今現在帰国して8ヶ月になります。この8ヶ月間 日増しに自分はとてもよい経験したラッキーな奴だと思うようになりました。これは僕の人生を大きく良い方向に変えてくれたものと思っています。これからはROTEXの一員としてこのプラグラムがより良い物になっていくことを願い精一杯がんばりたいと思います。
(受入れ)
Marina Papadia(マリナ・パパディア)
Genoa, Italy
1993年7月より約1 ケ月
ホストファミリー・高橋正明
(送り出し)
高橋里佳
(高橋正明会員のお孫さん)
1976. 4. 11 生
行き先・イタリア ジェノア
1993年8月より約1 ケ月
日本での在籍高校・同志社高校(岩倉)
光山 大
(光山恵治会員のご子息)
1981.3.9 生
行き先、イタリア
(受け入れ)
RobertoVaschetti (ロベルト・バスケッティ)
Monza-mi,Italy
1981年8月より4週間
ホストファミリー・光山恵治
ジーン・フィンドレー
1988年12月〜1989年1月、長谷川会員、川会員宅滞在。
サイモン・グルーア
1989年9月〜10月、佐藤会員、岡元会員宅滞在。
長谷川智子さん
1989年3月、ベン・ソネゴ宅他に滞在。